「世界最高峰のリング」UFCに挑んだ、ある日本人格闘家の記録
その名はZENKO【前編】

アメリカのリングには、カネが埋まっている

たった一夜で、億単位のカネをモノにする――そんなアメリカンドリームを追い求めて、リングに上がり続けた格闘家がいる。その名は、吉田善行。手がかりもないまま単身アメリカへと飛び、己の強さを証明しようと奮闘した男の生き様を、ノンフィクションライターの田崎健太氏が描く。

日本では余り知られていないが、アメリカでは、総合格闘技は短期間で何十億円という大金が掴める夢のある世界だ。ただし、それには二つ条件がある――。
 
UFCのリングに上がること、そして、目の前の相手を倒し続けることだ。
 
例えば、アイルランドの配管工であったコナー・マクレガー。現在28歳の彼は2013年4月からUFCに参戦している。初戦でTKO勝利、「ノックアウト・オブ・ザ・ナイト」に選ばれ、華々しいデビューを飾った。二試合目は判定勝ち、怪我明けの三試合目からは、メインイベンターを務めるようになった。

2016年の『フォーブス』誌のスポーツ選手長者番付では85位。わずか三年足らずで年間2200万ドル――約23億円を稼ぐようになったのだ。
 
吉田善行はこのUFCの熱を自らの身体で感じた、数少ない日本人である。
 
74年、千葉県柏市で生まれた吉田は、柔道場を経営している父の影響で物心ついた頃から柔道を始めた。中学から講堂学舎に所属、世田谷学園三年生のときには団体戦で全国三冠を達成した。同期にシドニー五輪金メダリストの瀧本誠がいる。東京学芸大学卒業後は都内の私立高校で柔道を教え、2005年2月、29歳のときプロの格闘家としてデビューした。
 
吉田が総合格闘技の道に進んだのは、K-1、PRIDEといった日本の格闘技団体が急速にしぼんでいった時期と重なっている。こうした日本の格闘技を飲み込んだのが、UFCだった。
 
2007年12月、吉田は『CAGE FORCE』という日本の総合格闘技団体のウェルター級チャンピオンとなった。この大会でUFC関係者の目に留まり、翌2008年5月24日の『UFC84』に出場することになった。吉田は元々、UFC出場を強く望んでいたわけではない。ごく自然な流れに乗っただけだったという。
 
大会はネバダ州ラスベガスで行われた。吉田はこう振り返る。

「まず街に圧倒されました。すごいなと。そして、会場がMGMだったんです」
 
収容人数約一万七千人のMGMグランド・ガーデン・アリーナは格闘技の聖地である。2015年5月、フロイド・メイウェザー対マニー・パッキャオのボクシング世界ウエルター級タイトルマッチが行われたことも記憶に新しいだろう。
 
この日は11試合が行われ、メインイベントは、BJペンとショーン・シャークによるライト級タイトルマッチだった。吉田は第三試合目でアメリカ人のジョン・コッペンヘイヴァーと対戦している。

アメリカに移ると決めた瞬間

コッペンヘイヴァーは、UFC制作のリアリティ番組『The Ultimate Fighter』出身で注目されていた選手だった。吉田は1ラウンド、スピニングチョークで勝利。この鮮烈な勝利は吉田に対する評価を一気にあげた。

コッペンヘイヴァ―を極める吉田【PHOTO】gettyimages

「試合が終わった後、色々と声を掛けられました。(アメリカ人は)すごくわかりやすいなと」
 
UFCは徹底した実力主義である。吉田は次の試合でメインイベンターに抜擢された。この大会は「UFC: Fight for the Troops」と銘打たれ、軍隊の治療施設基金設立を目的として行われた。対戦相手はジョシュ・コスチェックと決まった。彼もまた『The Ultimate Fighter』出身の選手で、すでに九勝二敗の戦績を残していた実力者だった。

「観客が全部、(アメリカの)軍人なんです。日本人はぼくのセコンドを含めて四人。異様な雰囲気でしたね」

全10試合のうち、吉田と第九試合のカナダ人選手を除けば、リングに登ったのはすべてアメリカ人。いわば、完全アウェーである。
 
この試合で吉田は1ラウンド2分15秒でノックアウトされた。コスチェックは「ノックアウト・オブ・ザ・ナイト」賞をとっている。
 
この敗戦で吉田は拠点をアメリカに移す決意をした。
 
吉田は最初の試合で勝利した後、控え室で「七万五千ドルを獲ったな」と冷やかされた。それだけ吉田のチョークは鮮烈だったのだ。UFCではファイトマネーの他に、様々なボーナスが設定されていた。その中に「サブミッション・オブ・ザ・ナイト」がある。これはこの日、もっとも鮮やかな関節技で勝利した選手に与えられる。
 
しかし、残念ながらこの賞は、他の選手に与えられることになった。七五千ドルを取り損ねたと、少々残念な気持ちで吉田は日本に帰国した。一週間後、アメリカから郵便が届いた。中には一万ドルの小切手が入っていた。特別ボーナスだった。UFCでは勝利すれば確実に報われる。吉田はすっかりUFCの魅力にとりつかれていた。

「全部の面でレベルアップしていかないと、UFCでは生き残っていけない。今まで通りに日本で練習していたら限界があると思ったんです」

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スポーツコミュニケーションズ,近藤隆夫