若いときに本場を知ったから、世界の舞台で戦えた
──成功と失敗をわけるものはなにか?

NOBUHARU ASAHARA

朝原 宣治

2016.09.21 Wed

成功と失敗をわけるもの

失敗を失敗とするか、成功につなげるか。

なにかがその二つをわけるている。世界の舞台で活躍してきた人は、どういう挑戦を重ねて、現在に至るのか。

朝原宣治さんへのインタビュー。前編ではリオ五輪におけるリレー銀メダルの快挙と若い選手のこれからについて語っていただきました。

後編はご自身の挑戦といまに活きている失敗について──(取材&文・佐藤慶一/写真・三浦咲恵)。

長く挑戦できた理由

2008年9月、36歳で競技を引退しました。

世界的に見ても、キャリアが長いほうだと思います。長く挑戦できたいちばんの理由は体が強かったことです(笑)。多くの選手がケガで選手生命を終えるなかで、ぼくも2年間ケガをしていた時期がありました。

為末大くんにも言われたことがあるんですが、「その期間サボっていたから、そのぶんキャリアが後ろに伸びたんじゃないか」って。特に関節は消耗品なので、ケガで休んでいたため、30代後半まで体が持ったのかもしれません。

また、キャリアの長さに自分の性格も関係していると思っています。ぼくはいま自分のやっていることに満足しないで、幅広く興味を持って次々と違うやり方を試したり探求したりすることに楽しさを覚えるようです。

つまり、自分で考え、いろんなアプローチができる性格がプラスに作用したのです。やっぱり、やっていることが楽しくないと、自分に可能性を見出せないとほかのアプローチをとらないので、そこに大きなモチベーションを感じていました。

あのときの失敗があったから……

それでも長く競技を続けていると、失敗もあります。

ぼくにとって大きかったのは2つ。ひとつは、ケガ。20代後半で疲労骨折したり、30代でもシドニーや北京五輪の前にもケガをして思うように練習ができなかったことがありました。

もうひとつの失敗はアトランタ五輪の400メートルリレーでバトンパス(3から4走)のタイミングが合わずオーバーゾーンで失格になったこと。ぼくはアンカーを務めたので、そのぶん責任も感じ、その直後はひどく落ち込みました。

しかし、そういったときに、いかに前を向き、いい経験に変えることができるかどうかが問われます。その後も競技を続けていくと、いい失敗になることもある一方、「ケガしたからもうダメだ」と捉えて悪い失敗になることもあります。

アトランタでの失敗を乗り越え、北京五輪ではうまくバトンが渡り、日本男子トラック種目初のメダル獲得を果たしました。となると、結果的にあのときの失敗があったから、いまがあると思えるようになります。

失敗をどう捉えるのは非常にむずかしい。それをプラスに変えるのは、資質なのか、性格なのか、努力なのか。たまたまバトンを落とし、たまたまメダルを獲った。仮にメダルを獲っていなくても、世界4位だったらそれはそれで納得の成果──世の中的な期待はメダルにありますが──だったのかもしれない。

だから、ケガでスパッと競技を辞めて、次の人生がうまくいった人もいる。その人にとっては、失敗がプラスになっている。そう考えると、失敗は捉えようで、いくらでも未来につながるのかな、と思います。

「本場を知る」という転換点

選手生活での挑戦といえば、1995年からはドイツ、2001年からはアメリカへと海外留学をしたことがあります。

社会人になってすぐの年齢で、陸上の本場ヨーロッパに身を置き、プロのコーチにはじめてついてもらったのは大きかったです。そこでは、学生時代とはまったく違う責任感を持ち、結果にこだわりました。

ヨーロッパでは夏のグランプリをはじめ賞金レースにプロの選手が結集し、自分の生活のために走っています。本物の人たちの走りを本物の環境で目にし、一緒に走ることができたのはその後につながる経験でした。

当時は100メートルと走り幅跳びをやっていて、特に幅跳びでは世界に通用する8メートルを超える記録も出せていたので、そのまま言葉や食事に慣れている日本の環境で練習を続ける選択肢もありました。

でも、陸上という仕事を通じて昔から憧れていた海外に行く──その挑戦の機会を逃さず、キャリアにつなげることができて本当によかったです。

感覚を忘れることがいちばん怖い

長く競技を続けてきたなかで、改めて陸上は「再現性」が求められるスポーツだと感じています。いちばん怖いこと、それは自分がどういう状態にあり、なにをしているのかがわからないときです。

要するに、なにかを再現できないことです。

その状態では、どの方向にどうやって向かっていったらよいのかわからない。記録が出る出ないにかかわらず、その理由が推測できないのはとても怖いです。だから、大学2年生から感覚をメモする習慣を身につけています。

そのきっかけをくれたのは、いまは「ゆる体操」というものを提唱している武道家の高岡英夫先生です。ぼくはそれまで陸上競技は練習量とその内容を工夫すれば、パフォーマンスが上がると思っていました。

でも、もっと体を細く分析したり、体感を大事にしたりすることを先生から学んだんです。いちばん印象的なのは、体の軸の話をしていて、「カール・ルイス選手の軸は頭上800メートルまで伸びている」と言っていたこと。

ふつうちょっとおかしいと思うかもしれないですが、体の感覚をそう捉えることもできるのか、武道では陸上にはない体の考え方や捉え方があるのか、と当時のぼくは新鮮に思いました。それだけ、自分の体の使い方や感覚にもっと繊細にならなければいけないと思うようになったターニングポイントでした。

だからこそ、感覚を言語化して忘れないようにするのが大事なんです。1日寝るだけで、翌日には感覚を再現できないと困るので、メモを見ながら練習するときに昨日の状態を思い出すことを継続していきました。

スポーツを通じたまちづくりを

これから挑戦したいこともいくつかあります。

まず引退後の2010年に立ち上げたぼくが主宰する陸上クラブ「NOBY T&F CLUB」。名前には「New Opportunity Before You(夢に向かって挑戦しようとする人に新たな機会を提供しよう)」、伸び伸び・伸びしろなどの意味を込めています。

ここでは、陸上競技の技術を教えてトップ選手を輩出するというよりは、子どもたちを地域社会全体で育て、市民の方々の交流の場となり、スポーツを通じたまちづくりを目指しています。

もちろんこのなかからトップ選手が生まれたらいいですが、まずは多くの人が楽しく体を動かす機会を提供できたらと考えています。

また同年、バレーボールの柳本晶一さんやシンクロナイズドスイミングの巽樹理さんや妻(奥野史子)などとアスリートネットワークもはじめました。思いを共有するアスリートをたちと横のつながりを持ち、情報発信やノウハウ共有、コンテンツ提供、アスリート支援など競技の垣根を超えて、新しい動きができないかと思っています。

たとえば、大阪府大東市では自治体と民間とアスリートネットワークで協力し、ぼくたちはコンテンツを提供し、自治体と民間でクラブを運営する取り組みもはじまっています。

ただ単にスポーツをするだけでなく、食や文化、歴史などその土地の魅力も融合させながらスポーツとまちをつないで活性化できないか、トライアンドエラーしながら動いています。

これからは健康やヘルスケアがキーワードになるので、日本のスポーツ全体にかかわりながら選手経験を還元していきたいと思っています。東京五輪に向けて、こういった活動が実を結ぶよう、活動していきたいです。

(おわり)
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朝原 宣治(あさはら のぶはる)

五輪陸上メダリスト、大阪ガス地域活力創造チームマネージャー。1972年神戸市生まれ。2008年北京五輪陸上リレーで男子史上初の銅メダルを獲得。100mの日本記録を3度塗りかえ、4度の五輪と6度の世界選手権に出場した。引退後は陸上クラブ「NOBY T&F CLUB」を設立し、子どもの健全育成から高齢者の健康づくりに尽力。陸上競技指導や解説、講演活動のみならず、スポーツによる健康力の高い活力あるまちの創造を目標に活動の幅を広げている。