映画
日本映画に革命を起こした『犬神家の一族』はここがスゴかった
湖から飛び出した足、不気味なマスク…

モダンな映像、衝撃的なマスク、斬新な宣伝——何もかもが新しかった。時代を変えた作品は、いかにして生まれ、どんな哲学を持っていたのか。

角川映画の生みの親・角川春樹氏、『犬神家の一族』で助監督をつとめた浅田英一氏、そして角川映画に詳しい評論家・中川右介氏の3人が、あの名作を振り返る。

みんなマネしたあのシーン

中川右介 角川映画がスタートして今年で40周年。記念すべき最初の作品が、'76年秋公開の『犬神家の一族』です。当時、私は高校1年生。ミステリーが好きだったので公開が楽しみで、先行ロードショーをやっていた日比谷映画に足を運びました。

角川春樹 第一作ということで、公開には万全を期して臨みました。当時の日比谷映画の新記録となる前売り券5000枚を売り出し、それでも心配で、映画館の周辺でちんどん屋にビラを配らせたんです。映画界でちんどん屋を使ったのは初めてだったと思います。

浅田英一 当時、日本映画界は下り坂。そんな空気の中、角川書店が参入したことは、現場にとってはとても新鮮でした。

宣伝ポスターも斬新でした。作品の代名詞である湖から二本の足が突き出ているシーンが大きく使われていましたね。

角川 あれからしばらくプールで逆さまになって足を突き出すのが、若者や子供たちの間でブームになりました(笑)。

中川 あの頃プールに行くと、「犬神家禁止」という貼り紙を見かけました。いまの若い人たちには意味がわからないと思うけれど、当時はそれだけで意味が通じたものです。

浅田 あのシーンはどこで撮影したんだっけな。

角川 長野県の青木湖ですよ。マネキンの脚に重しをつけて、浮いてこないようにしました。

中川 あのシーンには、角川さんご自身も刑事役で出演していましたね。

角川 忘れてください。恥ずかしい思いをしたので、あれだけはいまも絶対に見ないようにしてるんです(笑)。

中川 もうひとつ『犬神家』の代名詞と言えば、青沼静馬と犬神佐清の二役を演じたあおい輝彦さんが被っていた「スケキヨマスク」です。画面にマスク男が登場するシーンは、不気味さが際立っていました。

浅田 懐かしいですね。あのマスクには市川崑監督のこだわりがあった。東宝の特殊美術課造型の人が、あおいさんの顔から型を取って作ったんです。市川さんは、最初作ったものでひとまずOKしてくれたんですが、その後「やっぱりもっと柔らかくしてくれ」と要望が出てきた。3度ほど作り直し、とても柔らかいものになりました。

なぜ横溝正史だったか

角川 あのマスクは映画のプロモーションにも使いました。ホテルで行った完成披露パーティで、マスクをかぶった私が棺桶から現れるという演出だったのですが、みんな仰天していました(笑)。

中川 そもそもなぜ、出版社社長の角川さんが映画を製作することになったのか、改めてお聞きします。

角川 '68年、早川書房が映画『卒業』のシナリオのノベライゼーションを出したところ、映画が人気を博して、翻訳は10万部のベストセラー、主題歌も大ヒット。それを見て、出版社が映画を作るのも「あり」だと考えていたのです。

浅田 最初からヒットを予想していたんですか。

角川 相当研究はしていました。'74年、松本清張の『砂の器』が映画化されてヒットし、社会派ミステリーが人気を集めていた。同時に、国鉄の「ディスカバー・ジャパン」キャンペーンによって、古き日本を見直そうという空気がありました。そこで狙いをつけたのが横溝正史さんでした。

中川 '75年に横溝さんの『本陣殺人事件』を高林陽一監督が映画化し、配給収入1億円を突破。その前には『八つ墓村』も少年マガジンで劇画化され、横溝ブームが静かに起きていました。

角川 ええ。さらにその頃、山崎豊子さんの『華麗なる一族』が大ヒットし、「日本人に受けるのはやはり一族ものだ」ということで、『犬神家の一族』に決めました。

一方で、私は西部劇を観てきたので、この作品もマカロニウェスタン風でやりたいと思っていた。

中川 フラッと街にやってきた主人公が、そこで起きた事件を解決し、街を去っていく物語ですね。

角川 そうです。だから、主人公の金田一耕助は放浪者のイメージを出すために、お釜帽とトランクと袴という原作通りのスタイルをそのまま採用した。役者も、飄々としたイメージがピッタリということで、私が石坂浩二さんにお願いしました。