最高の予選、攻めた決勝──リオ五輪「男子リレー銀メダル」の衝撃と希望
NOBUHARU ASAHARA
朝原 宣治
2016.09.14 Wed

リオ五輪「男子リレー銀メダル」の衝撃
「本当に驚きました」
リオ五輪・男子陸上400メートルリレーの銀メダル。アジア新記録(37秒60)。山縣亮太、飯塚翔太、桐生祥秀、ケンブリッジ飛鳥の4選手の快挙に、朝原宣治さんは率直にそう語る。
北京五輪で同種目のアンカーを務め、銅メダル(男子トラック種目で初のメダル)を獲得した朝原さんの目に、リオ五輪の400メートルリレーや日本人選手の決勝進出・9秒台が期待された100メートルはどう映ったのか。
100メートルの日本記録を3度更新、オリンピックに4回連続出場、さらに世界陸上には6回出場。そんな朝原さんが2008年9月に引退してから8年が経つ。これまでどのような挑戦を重ね、いまがあるのか。そしてこれからは──。朝原さんのいる大阪で話を聞いた(取材&文・佐藤慶一/写真・三浦咲恵)。

選手時代とは違う五輪の景色
オリンピックってこんなにおもしろかったのか──。
リオ五輪を振り返ると、真っ先にそう実感します。選手時代はもちろん、その後も現地に行っていました。今回は解説で東京にいて、テレビなどを通じて見ていたので、競技の数だけおもしろさがあることを知りました。
ほとんどすべての競技を見たのは、実は今回がはじめてでした。日本のお家芸である体操男子団体や競泳、柔道のメダルラッシュ。また、これまでなかなかメダルに届かなかった男子卓球や女子バドミントンなどは、そのゲーム性に惹かれ、特に団体競技の活躍を楽しく見ていました。
そして、陸上。やっぱり男子400メートルリレーに尽きます。過去3回の五輪は4位、3位、4位ときて今回。抜群のスタート、トップスピードの維持、コーナリングのうまさ、順位を守る勝負強さ……1から4走まで「史上最強のメンバーが揃った」とぼく自身も煽っていた部分があったんですけれど、彼らが決勝の舞台で100%近い力を発揮し、銀メダルという結果を残したことには本当に驚きました。
陸上短距離において、ぼくが現役のときには「金メダル」なんて口にできませんでした。でも銀メダルを獲ったいま、現実的な目標として掲げることができる。このことは改めて歴史的だと感じます。
最高の予選、攻めた決勝
まず予選がもう、非常によかったです。ジャマイカにも先着して組で1位、そしてアジア新。その時点でびっくりしました。
たとえ決勝でジャマイカのウサイン・ボルト選手やアメリカのジャスティン・ガトリン選手ら予選で温存していたメインの選手が入ってきたとしても、そんなに差がないのではないか。うまくいくと三つ巴で決勝を戦うことができるのではないかと感じました。
ただ、過去の経験から、予選がよくても決勝で力を発揮できないことがよくありました。ロンドン五輪でもそう。予選は38秒07とすごくよかったので、その記録と同等かさらに更新するようであれば、メダルは確実でした。ところが、決勝では38秒35。予選と決勝はやはり違うんです。
でも今回の決勝は、予選よりもリスクを取った走りで結果を残したことが、とても感慨深かったです。日本チームのバトンパスのうまさは繰り返し言われてきましたが、決勝ではそれぞれが加速ゾーンで4分の1足分・半足分遠くしたことも攻め・挑戦の姿勢を示しています。
予選と決勝ではプレッシャーも違います。予選でいいレースをすると、「このままの走りでいけばメダル確実」と言われる。選手たちもそう考えてしまうと、ダメなことが多くて。だからこそ、攻めに攻めたことで、銀メダルという歴史的な結果にたどり着いたのかなと思います。
実は予選後、現地にいるコーチとLINEでやりとりしていたんです。やっぱり、決勝でさらに記録を伸ばすむずかしさを話していて。ロンドンの失敗を繰り返さないように気を引き締めていくとのことでした。その過程も知っていたので、いっそう嬉しかったですね。

「ありえない」から「手が届く」へ
ぼくたちが北京五輪で銅メダルを獲ったとき、予選後は「メダル」という言葉を口にしないように意識していました。当時はそれくらいメダルが遠く、ありえない世界だったんです。
そのとき、ぼくたちが歴史的瞬間になれるかどうかが懸かっていました。その意味では今回の若いチームとは少し違う雰囲気で一夜を過ごしました。対照的にリオ五輪のメンバーは「メダルを獲るぞ!」と意気込んでいたようでしたが──。
やはり100メートルとは違い、リレーは世界と互角に戦える。過去の五輪や世界選手権で先輩方が残してきた結果があるので、そういう実感があります。リオ前の練習でもいいタイムを出し、理論上では37秒台が出てもおかしくはないところまで来ていました。
しかし、練習と本番は違う。予選と決勝でまた違う。理論と実際が大きくズレることはこれまでの大舞台でも続いてきました。そのいくつもの「違い」を乗り越えたのです。
「10秒の壁」は分厚いのか?
今回、100メートルにもたくさんの方が注目していたと思います。期待されたのは、決勝進出、そして9秒台でしょう。
やっぱり山縣選手は強かった。準決勝で自己ベストを出し、格上の選手たちと肩を並べるレースをした。決勝も少し見えるかな、というところ。一方、桐生選手とケンブリッジ選手は、経験の差なのか、自分の力を出せなかったですね。
桐生選手は過去に追い風参考ながら9秒台を記録しましたが、有力選手が揃うレースではなかなか実力を発揮できないことが多くあります。最近「ここぞ」というときに勝てていなかったので、100メートル予選後は元気がなさそうでしたが、リレーで吹っ切れたことは本当によかったです。
100メートルというと、日本人選手には長らく「10秒の壁」が立ちはだかっています。ぼくは日本記録を3度更新してきましたが、実際、自己ベスト(10秒02)も9秒99もそんなに変わらない。
リレーを見てもわかるように、加速走だけだったら、9秒台の選手と遜色変わらない走りができています。リレーはスターティングブロックからのスタートが1回で残りは加速走なので、日本人選手でも世界トップレベルの成績を残すことができる。ただ、それを100メートルの中で発揮するのが非常にむずかしいんです。
問題はスターティングブロックからの加速。つまり、スタートの考え方を変えれば、9秒台が出るチャンスはあると思っています。
具体的には、主に黒人選手がやるような頭を下げて低く出るスタート方法が本当に効率的なのかどうか。たしかに主流のスタイルなんですが、骨格や筋力などを考慮すると日本人に合っていない可能性もあるわけです。
それでも、実際に記録が出ている、自分たちよりも速い選手のやり方を参考にするしかない実情もあり、同様のスタートを取り入れています。でも、もしかすると、そういう当たり前を疑い、新しいやり方に挑戦することが「10秒の壁」突破の近道なのかもしれません。

引き継ぐ思い、変わる意識
日本のリレーにとって、メダルが"獲りにいく"存在に変わったのは大きなことでした。ぼくらの時代は口にできないようなものでしたから。それでも、先輩たちが続けてきた決勝進出を引き継ぎ、北京ではメダルにようやくたどりつきました。
では、いまの若い選手に脈々と受け継がれているものはなにか。100メートルでいえば、しばらくの間、日本人選手は10秒00から離れたところにいました。それがここに来て複数人が10秒00台にいることで、「壁」が意識的になくなりつつあります。
10秒00台が当たり前になれば、「壁」に対する意識にも変化が出てくるかもしれません。近い未来、誰かが一度その壁を超えたら、日本陸上短距離界がどんどん底上げされるでしょう。そして、9秒台が続出すると思います。
リレーも同様です。長らく破られていなかった日本記録(38秒31)をぼくら(北京五輪リレーメンバー)が2007年の世界選手権大阪大会で塗り替えました(予選38秒21、決勝38秒03)。それを更新したのが、このリオ五輪だったのです。
選手の意識の中に超えられない記録が魔物のように存在していたとしても、一度超えてしまえばラッシュが続く、「壁」とはそういうものなのかなと感じています。

東京五輪に向けて
今回銀メダルを獲得したことで、東京五輪で陸上はさらに注目されると思います。選手自身はよりそう実感していることでしょう。リレーメンバーたちは「金メダルを目指す」と言っているくらいです。
いまのメンバーの平均年齢は23歳、最年長の飯塚くんが25歳。4年後を考えると、それぞれの年齢としてはよい時期になるのかもしれません。
でも実際のところ、4年間ってけっこう残酷です。若い人も育ってくるし、ケガがあるかもしれない。再びこの4人が東京五輪の舞台に立てるかどうかは誰もわからない。違うチームになる可能性もある。
ぼくは五輪に4度出場するなかで、4年のむずかしさを見聞きしてきました。当然、みんなが一生懸命やっていますが、タイミングが合わなかったり、ケガなどで調整不足に泣いたり……。
今回で言えば200メートルの高瀬(慧)くんや藤光(謙司)くんはよい結果が残せませんでした。でも、去年は絶好調だったんです。そのときの状態であれば、リレーの2走にどちらかが入っていてもおかしくなかった。でも、飯塚くんが五輪ではよかった。そういうことが五輪ならではのむずかしさであり、醍醐味でもあります。
これからの4年間、新たな才能の登場や「10秒の壁」の突破が楽しみです。リレーだけでなく、個人競技でも世界と戦えるようになっているかもしれない。そう考えると、日本陸上の短距離界には大きな希望があると感じています。