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戦後・昭和の世相を「歌謡曲」からふりかえる
中島丈博の読書日記

もう一つの昭和史

ドラマの時代設定を視聴者に伝える工夫はいろいろあるけれど、屡々(しばしば)用いられるのはその時代の流行歌をバックに流すという方法である。安易だが手っ取り早いので、私などもよくその手を使ったものだ。

半藤一利著『B面昭和史』にも当時のヒット曲や軍歌が再三登場するので、私たちの世代にとってはただ、懐かしい。また、これらの戦意高揚歌の替え歌までもが記されているのは、さすがB面の面目躍如たるものがあるが、関東と関西では多少の差違があったようである。

例えば「愛国行進曲」の場合――

みよ東条の禿頭/旭日高く輝けば/天地にぴかりと反射する/蠅が止まればつるとすべる……

と元歌の要素をかなりなぞっているけれど、私たちが子供の頃、京都で歌っていた替え歌は次の通り。

みよ東条の禿頭/よくよく見れば毛が三本/頭の上で運動会/つるりと滑って一等賞……

ほかに「湖畔の宿」の替え歌も東西では少しばかり違っていたようだが、それはさて措くとして、この六百ページになんなんとする『B面昭和史』は、B面だけでは始末が付かずにA面が顔を出すと、途端にA面、即ち正史の部分のいやらしさ、いかがわしさが否応もなく際立って、B面の時局に追随迎合する民衆の愚かしさや滑稽と相俟っての二重奏を盛り上げることになる。

しかし、年代を経るに従って昭和19年、20年の第8話『鬼畜米英と神がかり』ともなると、BもAもなく両面が破滅的地獄の様相を呈して、わずかに少年時代の作者に対して「坊」と語りかけるおやじさんとの会話に救われる。

戦争に負けると、男は全員が南の島で一生奴隷に、女はアメ公の妾になるのだと流布されていた。玉音放送の後、作者が父親に真偽のほどを確かめると、「バカもん」と一喝される。

「なにをアホなことを考えているのだ。日本の男を全員南の島に運んでいくのに、いったいどれだけの船がいると思っているのかッ。日本中の女性を全員アメリカ人の妾にしたら、アメリカの女たちはどうするんだ、黙っていると思うか。馬鹿野郎」

「リンゴの唄」への違和感

こうした父子の会話は作中随所に挿入されていて、蚊帳の外に置かれていた当時の民草がせめてこのおやじさんくらいの知恵と懐疑を保っていてくれたらと思わせられる。

しかしながら社会党の浅沼稲次郎にさえ時局を見誤るような言及があったと知れば、仕方がなかったのだろう。

ジャーナリズムが屈してしまえば、今後も日本の民衆は政府の甘言や誤魔化しや危機感を煽る脅しに騙され呑まれて、愚かしさと滑稽を演じることになるのではないかとの疑懼が去らない。

さて、『歌が街を照らした時代』に登場する歌の数々はほとんどが戦後の流行歌である。

著者の久世光彦さんは歌好きを自称するだけあって私の脚本で向田邦子さんの『冬の運動会』を舞台化したときも、ドラマにはなかった挿入歌を十曲ほども流し、かつ主演女優に歌わせたりもした。そんな久世さんが「リンゴの唄」だけはどうしても歌う気がしなかったと言うのである。

「こんなに明るくていいのか、という身も世もない羞恥心」の故で、「天から降ってきた〈自由・平等〉あるいは〈民主主義〉」とも書いているから、昨日まで鬼畜米英を叫んでいた教師たちが終戦を境に民主主義を唱え始めたことへの気恥ずかしさと同質のものを「リンゴの唄」に嗅ぎ取ったということだろう。

好きだったのは重くてデカダンな「悲しき竹笛」「東京の花売娘」「かえり船」「港が見える丘」「妻恋道中」だと聞けば、同世代としては膝を打って共感するというものだ。

あの頃の歌は文語体の歌詞も多かった。本書に取り上げられてある流行歌以外にも西条八十作詞の「お菓子と娘」や淡谷のり子が歌った「おお、去にし春よ……」から始まるマスネーの「エレジー」などは徹頭徹尾文語調で、私たちはこれらの歌詞によって文語表現の機微に馴染んだのだ。

夢あたたかき―向田邦子との二十年』にも触れられているけれど、久世さんは子供時代を送った昭和10年代にひとかたならぬ執着があって、向田さんとの正月ドラマの舞台、時代背景はすべてこの設定となる。

昭和4年生まれの向田さんならば、10年代を書くのはお茶の子さいさいであるし、おそらく大正時代のことも両親を通じて共有しているから守備範囲としては分厚いものとなる。そんな向田さんが久世さんにとっては脚本家としても先輩としても頼りになる長女としての姉だった。

それにしても向田さんには新しい読者が雨後の竹の子のようにどんどん簇生してきて、テレビの「寺内貫太郎一家」など知らない世代の女子中学生や女子高生が途切れることなく繋がっている。

こんなに息の長い作家はいないと驚倒していた久世さんも10年前に逝ってしまい、昭和全体を体現する知的アイドルとしての向田邦子熱だけは現在も連綿として発酵しているのである。

中島丈博(なかじま・たけひろ)
'35年京都市生まれ、'45年より高知県中村市。NHK大河ドラマ『草燃える』『元禄繚乱』ほか、映画『津軽じょんがら節』『祭りの準備』等脚本多数。監督作品に『おこげ』等。'07年旭日小綬章。『牡丹と薔薇』など昼ドラも多く手がける

※この欄は中島丈博、堀川惠子、熊谷達也、生島淳の4氏によるリレー連載です

『週刊現代』2016年9月17日号より