夏目漱石はなんでこんなに女の人の怖いところがわかるんだろう?
石原千秋さんの「我が人生最高の10冊」

文学の目覚めは『どくとるマンボウ』から

私の文学の好みの基準は、中身はもちろん、文章の良さにも重きを置いています。その傾向を生んだのが中学の頃に出会った、北杜夫『どくとるマンボウ』シリーズです。

最初に読んだのが『航海記』で、とにかく面白い。当時出ていたシリーズはほぼ全部読みました。文章には「あまつさえ」という副詞が多用されるなど、独特の心地いいリズムがあって、上品なユーモアも感じられます。

好きが高じて、中学校の作文の課題では、『どくとるマンボウ』の文章を真似して書いたんです。「あまつさえ」も頻繁に使いましたね(笑)。すると、詩人でもあった担任の牟礼慶子先生が、非常にほめてくださって。うれしくて、将来は文章で身を立てることができたらと思ったのを覚えています。

私が今、文学に関わる仕事ができているのは、北杜夫の文章の影響と、牟礼慶子先生のおかげでしょうね。

高校に入ると明治、大正の古典的な名作を文庫で読むようになりました。ほかにも井上靖の『しろばんば』、小林秀雄や亀井勝一郎の評論などが記憶に残っています。

大学は国文科で学ぼうと決めていましたが、受験勉強はしなかった。興味のない授業は、机の下で文庫本を読んでいたくらいで、当然浪人します。

そして浪人時代の夏、手痛い失恋をしましてね。夜に寝て、次の日の朝、起きた時、こんなに悲しいのにどうして目が覚めるんだろうと、不思議でしょうがなかった。

悲しみから逃れるために、森鴎外や志賀直哉、島崎藤村などの文豪の作品を、受験直前の2月末までずっと、読みふけりました。そんな中で出会い、衝撃を受けたのが夏目漱石の『彼岸過迄』です。僕の漱石の初読は、実はこの作品なんです。

須永というちょっと陰気で優柔不断な知識人の男が、幼馴染の千代子に、「結婚する気もないのに、私になぜ嫉妬するの」と、強くなじられる場面があります。ここを読んで、「やっぱり女っていうのは怖いな」と痛感。「漱石はなんでこんなに女の人の怖いところがわかるんだろう」と感じ入ったのを鮮明に記憶しています。

失恋をして文学がわかる

以来、漱石の大ファン。学部の卒業論文や大学院の修士論文も漱石で、主な小説は多いと100回は読んでいますね。だいたいどこに何が書いてあるか頭に入っています。

もちろん漱石は文章も素晴らしい。スッと読めるほど易しくわかりやすいのに、非常に密度が高い。北杜夫とは違った品の良さとそこはかとないユーモアも備えています。

漱石で読まれている作品の第1位といえば『こころ』ですが、『こころ』はいまだに近代文学の頂点に君臨していると私は考えています。それは人間の心の動きを細かく書いた初めての作品だったからです。心を文学のテーマにしていいんだと、小説のパラダイムを変えた、革新的な小説でした。

ただ、『こころ』は文学史上の意義はありますが、小説の味わいは、『三四郎』の方が私の好みなんです。

一番好きなのが、四丁目の夕暮の別れのシーン。「結婚なさるそうですね」という三四郎の言葉に、片思いの相手の美禰子が「御存じなの」と答える。「迷羊。空には高い日が明かに懸る」といった表現はまさにポエムのよう。

今でも学生たちに毎年夏休み前、「君たち、この夏休みは四丁目の夕暮を経験してきなさい。恋をするだけではだめ、失恋をして教室に戻ってきなさい。そうしなければ文学はわかりませんよ」という話をしています。