作家・桐野夏生が「男の欲望」を丸裸にした!
なぜここまで気持ちが分かるのか

(取材・文/水品壽孝)

リアルな心情はセックス記事が元ネタ

―本書の主人公は、大手銀行からファッションメーカーに出向し、財務担当役員を務め、プチ・エリート生活を送る薄井正明、59歳。出世、カネ、女、家庭と、すべてを手にしようとする薄井ですが、その目論見は社長のセクハラ問題からほころびはじめ、最後にはある運命が待ち受けています。

この作品のテーマは、男の欲望です。すべてを持っていたい男のわがままを書こうと思いました。虫のいいことばかり考えている主人公の心のうちの秘密、人には絶対言えないようなことを暴いていく作業です。それは誰もが持っているものですが、この年齢の男性には特に多いと思う。

これまで薄井のような初老に差し掛かった男の心理を描いたことはほとんどありませんでしたが、連載された『週刊現代』の読者の共感が得られないのではつまらないので、挑戦的な気持ちでやってみました。

―作品を書かれていくうえで、苦労されたことはありますか。

私は、会社員の生活というものがよくわかりません。会社というもののシステムを知らないし、ましてや金融関係なんてますますわからない。執筆に当たっては、一般企業で働く兄弟や銀行にお勤めの方から話を聞きましたが、あまりにも知識がないので、会社員の生活を描くのに戸惑ったところはありました。

―しかし、ここで描かれている薄井の心情は、「なぜ女性がここまで男の気持ちを書けるのか」と思うぐらいリアルです。

『週刊現代』の記事がとても参考になりました。たとえばセックス特集。「60歳からのSEX」や「あの素晴らしいセックスをもう一度」みたいな記事を読み、「男って、そんなにやりたいんだ」ってあらためて思いました(笑)。私の友人などにそのことを話すと、みんな「もううんざりだ」と口を揃えます。男の人も辛いですね。

作中では、週刊誌の袋とじのグラビアページを見たいと思った薄井が、鋏もナイフも手元にないので、仕方なく指で紙を破ってビリビリにしてしまうシーンが出てきますが、共感する方がいらしたら、楽しいです。

―薄井が愛人の美優樹に送るメールも生々しい。13歳年下の愛人を「みゆたん」と呼び、「あなたと会ってエッチすることしか、俺には楽しみがありません」と甘えている。愛人に対しては、まるでだらしがありません。

吉行淳之介の愛人だった大塚(英子)さんという方も、吉行が「ボクちゃん、ウナギ食べたい」などと言っていたことを著書のなかで暴露しています。愛人の前では、男はみんなそんなものなんじゃないでしょうか。

でも、自分で書いていて言うのもなんですが、かわいいですよね。笑っちゃうのに、なんだか愛せます。せこく見えますけれど本人は必死だし、その努力ぶりがどこか憎めない。私は弱い人が好きなので、薄井みたいなしょうがない男はとても愛おしい。「こういう男ってかわいいな」と思いながら書きました。

桐野夏生流の「大人のおとぎ話」

『猿の見る夢』著者の桐野夏生さん

―そんな薄井は、謎の女占い師、長峰によって自らの欲望を見透かされ、翻弄されていきます。

長峰のイメージは、『家政婦は見た!』の市原悦子さん。ああいう人が家の中にいたらちょっと怖いじゃないですか。当初は政財界の大物たちを顧客とした著名な占い師、藤田小女姫のイメージがあり、実際に小女姫が殺されたハワイのマンションまで取材に行きました。でも、小女姫さんをイメージとした占い師にすると、ちょっと怖すぎた。

完全にマインドコントロールされるよりも、半信半疑のままちょっと操られるみたいなほうがリアルかなと思い、長峰的な占い師にしました。

―長峰は自ら見る夢で、依頼者の将来を占っていきます。その夢は、『古い靴は踵が潰れてる』など極めて暗示的です。

なるべくうさん臭くないように相手に近づきながら、ときにはすごくうさん臭く、最後は結局カネをまきあげてしまう。その長峰という人物を描くのが一番難しかった。

ちょっと迷ったのは、長峰が自分の上に座っている夢を見て、薄井が欲情するシーンです。「おばさん相手にこんなことがあるのかな」って思いながら、「でも、ありうるかもしれない」と思って書きましたが、やはり賛否両論だったみたいです。

―エンディングはハッピーエンドなのか、バッドエンドなのか、感想が分かれるところです。

そうですね。私はハッピーなのかなと思っていますが、どうぞみなさんでご判断ください。

―最後に『猿の見る夢』というタイトルの由来を教えてください。

願いを叶えてくれるという怪しげな占い師の女が家の中に入ってきて、欲望だらけの男がその話にちょっと惹かれてしまう。そのストーリーを思いついたときに、イギリスの小説家W・W・ジェイコブズの有名な短編小説、『猿の手』が頭に浮かびました。

三つの願いを叶えてくれるという猿の手のミイラを手にした老夫婦が願いを叶えてもらう代わりに大きな代償を支払うというお話ですが、そのイメージから『猿の見る夢』というタイトルを付けました。

この作品は、自分が物語の中に入り込んで書くのではなく、ちょっと上から見て、登場人物を動かしながら笑っている感じで書きました。そういう意味では、いままでの作品とは、登場人物との距離感がちょっと違います。あまりシビアにならずに、大人のおとぎ話として読んでくださればうれしいです。

桐野夏生(きりの・なつお)
'51年石川県生まれ。成蹊大学卒業後、'93年『顔に降りかかる雨』で江戸川乱歩賞、'98年『OUT』で日本推理作家協会賞、'99年『柔らかな頬』で直木賞などを受賞。'15年、紫綬褒章を受章。近著に『バラカ』など

『週刊現代』2016年9月17日号より