「K-1の新カリスマ」が初めて語る苦悩と葛藤
リングで叩かれ、ネットで叩かれても

K-1人気が加速している。大会のチケットは争奪戦の様相を呈し、6月24日のK-1WORLDGP(代々木第二体育館)は追加席を含めて1か月以上前に完売。この大会を生中継したAbemaTVは視聴者数88万人を記録し、同局のスポーツコンテンツ歴代1位を記録。若年層のK-1人気を証明した。

人気の中心は、K-1WORLDGPスーパー・バンタム級(-55㎏)初代王者の武尊(たける)。25歳の若き世界王者は、普段は優しい笑顔でファンサービスに励み女性や子供に高い人気を誇る。だがリング上では「ナチュラルボーンクラッシャー」(生まれながらの破壊者)に変貌。「軽量級はKOが少ない、盛り上がらない、というイメージを覆す」と宣言し、アグレッシブな超攻撃型スタイルで「倒すか、倒されるか」のスリリングな試合を展開してきた。

【撮影】小野塚章(以下全て同じ)

今回は、ファンの絶大な支持を得て「K-1の新カリスマ」と呼ばれる武尊が、密かに抱えてきた苦しみや葛藤を初めて告白する。

はじまりは、絶望だった

「K-1消滅」――。

憧れの場所に向かって順調に歩んでいた少年は、目の前に突きつけられた残酷な現実に打ちのめされた。

魔裟斗やピーター・アーツら様々なスターを輩出し、地上波ゴールデンタイムでの中継でブームを巻き起こしたK-1だが、主催していた株式会社FEGの経営危機(その後倒産)により2011年6月大会を最後に活動休止。

当時20歳の武尊がプロデビュー(立ち技格闘技Krush(クラッシュ)後楽園ホール大会)を果たしたのは、K-1最後の大会の3か月後のことだった。

「K-1が無くなった時は本当にショックでした。僕は『K-1に出る』って言って鳥取から上京して、アマチュア大会に優勝して『次はプロデビュー』と言われて『プロで活躍して、いつかK-1に出て有名になる』という夢に近づいた、と思ったちょうどその時に、K-1が無くなってしまって。これから先、何を目指したらいいのか分からなくなって、しばらく呆然としました…」

大きな目標を失い、強いショックを受けたものの、武尊は必死に気持ちを立て直す。彼がデビューしたKrushは若手ファイターの登竜門的な大会。当時から格闘技ファンの熱い支持を集め、後楽園ホールを毎大会満員にしていた。

「その頃『K-1が無くなって、Krushが一番』と言われていたし『それなら僕がKrushを昔のK-1のような舞台にすればいい』と思うようになりました。でも…、Krushでチャンピオンになって、現実を知りました」
 
武尊はデビューからわずか1年8か月でKrush-58㎏初代王者となった。格闘技界では「軽量級のホープ」として注目を集める存在になったものの、当の武尊は「このままではダメだ」という思いを募らせていく。

「やっぱり昔のK-1とは全然違ったんです――」

王者になっても、何も変わらなかった

武尊がぶち当たったのは<格闘家は格闘技ファン“だけ”にしか知られていない>という現実だった。

「昔のK-1に出ていた人には『K-1に出て人生が変わった』と聞きます。試合が放送された翌日から街中や電車の中で声を掛けられたり、握手を求められたり。新しいスポンサーがついて、有名人と知り合いになれて、生活も一変する、って。だけど、僕はKrushのチャンピオンになっても、何も変わらなかったんです」

地上波中継のないKrushでは、チャンピオンとして活躍しても武尊の存在を知るのは「格闘技ファン」のみ。格闘技の聖地・後楽園ホールを一歩出たら誰にも気づかれなかった。

「ファイトマネーはたまに出るボーナスみたいなもので、生活のために居酒屋さんやクレープ屋さんでのバイトも続けてました(苦笑)。練習して減量して体を酷使して、命を削りながら試合をしてるのに、昔のようにたくさんの人に見て貰えないのは悔しい、ってずっと思ってました」

武尊は密かに決意する。自分が動いて、現状を変えよう、と。

「待っていたら何も変わらない。どんなにいい試合をして、勝ち続けたって、試合だけをしていてもダメだ、って思ったんです」

自らプロフィールを作り、様々なツテを辿って幾つかの芸能事務所に足を運び、売り込みに行った。その結果、痛感したのは「世間には『格闘技の存在』が全く届いていない」という、現役の格闘家にとっては辛い現実だった。

「『格闘家の武尊君です』と紹介して貰うと、初めて会う人には『何をやってるの? ボクシング?』って最初にボクシングが来るんです。僕は、K-1の大会はK-1甲子園(高校生の大会)しか出たことがないから『K-1ファイター』とも名乗れなかった。『もっと格闘技を知らない人のところに飛び込んでいかないとダメなんだ』って感じました」

オーディション会場に行くと、周りは俳優やタレント志望者ばかり。その中で格闘家の武尊は明らかに「浮いた存在」だったが、武尊は臆せずに挑戦を続けた。その結果、少しずつメディアに出る機会は増えたものの、格闘家と芸能活動の「二足のわらじ」は甘いものではなかった。

「試合前の減量期間はキツかったです。温泉ロケに行った時、体がしびれて、痙攣してしまったり――」

胃液が出るほどの過酷な減量

昨年7月から3か月間、武尊はBSジャパンで放送された「メンズ温泉」に出演した。書類審査と1次、2次オーディションを勝ち抜いてレギュラー5名のうちの一人に選ばれたのだ。番組は「女性の社会進出が日々増えている現代。そんなすべての頑張る彼女達を癒す温泉番組」(BSジャパンHPより)で、イケメン俳優に混ざり、初めての温泉ロケに挑戦した。

「裸を見せる番組だったので、オーディションの時は減量して腹筋をバキバキにして臨みました。本番前も直前まで腕立て伏せでパンプアップして(笑)。タレントや俳優の人たちよりも必死さでは勝ってたと思います。ただ、番組は女性よりもゲイの人たちに人気が出たそうで(笑)。内容も『壁ドンの床バージョン』とか『手が触れ合って、慌てて視線をそらす』とか(苦笑)。『えー?』と思いながらもなんとかやりましたよ」

コンディションの調整では大変な苦労を強いられた。撮影日は早朝出発で、帰宅は夜中。ロケ先で美味しい料理を出されても、試合を控えて減量をしている武尊は箸をつけることも出来なかった。そして、何より大変だったのが「入浴シーン」だ。

「温泉に入るとむっちゃ汗が出てしまうんです。減量でほとんど水分を摂れてない時だと『低ナトリウム血症』といって、体内の塩分が汗と一緒に出すぎて、全身がつってしまうんです(苦笑)」

当時の武尊は「常に減量をしている状態」だったという事情もあった。新たな運営会社が立ち上げた「新生K-1」が2014年11月にスタートし、プロデューサーには武尊の師、前田憲作氏が就任。前田氏は「100年続くK-1」の方針を打ち出し、他競技の選手との異種格闘技戦や体重差のあるマッチメイク(元K-1プロデューサーの谷川貞治氏が得意とした「谷川モンスター路線」)を排除。K-1を55㎏、60㎏、65㎏、70㎏の4つの階級に分けて、アマチュアの育成や競技化に力を注いだ。

Krush58㎏級チャンピオンだった武尊は、K-1では55㎏、Krushでは58㎏で戦わなくてはならなかった。軽量級の「3kg」の幅は大きい。

「55㎏と58kgで交互に試合した時はとてもキツかったですね。最初にK-1の55㎏で試合した時は13kg減量しなければいけなくて、1回目の計量で150グラムオーバー。体中の水分を絞り切っていたので、ツバも全然出ない状態だったんです。なので、ノドの奥から無理矢理胃液を出して何十グラムずつ体重を落としたら、計量をパスした時には胃酸でノドをやられてしまいました(苦笑)」

痛み止め注射5本

どんなにキツくても、武尊は一切弱音を吐かなかった。過酷な減量と、温泉ロケなど芸能の仕事で、最悪のコンディションで試合に臨んだ時も「体調不良だった」とは絶対に明かさなかった。

「言い訳になるから本当は言いたくなくて、インタビューでもずっと隠してました。今回は『どうしても』ということなので、特別に話しています(笑)。あのことも、そろそろ話してしまっていいですか?」

傍にいたスタッフに確認し、武尊は試合の舞台裏を明かした。

「6月の小澤(海斗)戦は、実は試合前の練習で肋骨を骨折していました。痛み止めの注射を何本も打ってリングに上がったんですけど、痛みが全然取れなくて、右のパンチがほとんど打てない状態だったんです」

空前の盛り上がりを見せた6・24代々木第二大会。「新生K-1史上最速でチケットが売り切れた」(前田プロデューサー)のは、記者会見で武尊と小澤が乱闘騒ぎを起こし、その模様がYouTubeにアップされて大きな反響を呼んだためだった。

武尊が返上したKrush58㎏級のベルトを巻いた第二代王者、小澤は会見冒頭から敵意をむき出しにして武尊を挑発した。

「なあ、武尊。お前、皆に好かれてる気でいるんじゃねえぞ! 首を洗って待っとけ!」

「リスペクトのない挑発が大嫌い」な武尊は、小澤にKOで勝って実力差を見せつけるべくハードトレーニングに励んだ。万全な仕上がりであとは試合で大暴れするだけ…。だが、最後に落とし穴が待っていた。

「試合1週間前の、最後の追い込み練習で肋骨を2本折ってしまったんです。折れたのが胸の方で、一番得意な右のパンチが打てないし、相手のパンチをボディに1発貰ってたら呼吸が出来なくて倒れるんじゃないか、って。それから練習が出来なくて、病院に通いながらほぼ食べないで減量しました」

この時、武尊は初めて「恐怖」を感じたという。

「小澤戦は試合前の反響がもの凄かったんです。向こうが完全にヒールになってて、僕のツイッターには若い子から『絶対負けないでください!』『小澤なんか倒してください!』って、珍しく応援コメントばっかり(笑)来るんですよ。でも僕はケガをしてしまって、練習も出来なくて安静にしているしかない。『こんなに期待されて、チケットも完売してるのに、これで試合に出られなくなったらどうしようか?』って不安で一杯でした」

試合の当日は痛み止めの注射を5本打ち、リングに立った。

「練習のスパーリングからバチバチやるので、試合前の怪我は珍しいことじゃないです。これまでは試合当日になると『アドレナリンで全然痛くない状態』になってたんですけど、今回は試合が始まっても痛くて(苦笑)。だから『作戦で勝ってやろう』と思って、左の蹴りと左のパンチで攻めました。最終回は気合いで右を打ちましたけど、やっぱり痛くて(苦笑)。KOが出来なかったのは悔しかったですけど、判定で勝って、最低限のことはしたかな、と」

「僕しかいないんだ」

小澤に勝利した後、インタビュースペースで武尊は珍しく怒気を含んだ口調でこう言った。

<今のK-1を引っ張っていけるのは僕しかいないんだ、と改めて思いました>

その言葉の真意を、武尊はこう明かす。

「僕が小澤選手にめっちゃムカついたのは『武尊の地位を奪いたい』という言葉なんですよ。『お前に、本当に俺の代わりが出来るのか?』って思います。僕は練習をしながら、試合前のギリギリまで芸能の仕事や大会のプロモーション活動もしています。格闘家で『試合さえ見て貰えたら、絶対にハマって貰える』と思ってる人は多いと思うんですよ。

でも、僕は実際に格闘技と全然関係ないメディアに出て『試合を見て貰うまでが本当に大変だ』ってよく分かってます。だから、どんなに試合前でキツくても芸能やプロモーションのオファーがあれば『やらせてください』って言います。もちろん目立つのが好きだからやってるんですけど(笑)、他の選手に僕の代わりは絶対に出来ないと思います」

武尊のファンサービスの良さにはかねてから定評がある。どんなに疲れていてもサインや握手はまず断らない。まさに「神対応」だが、彼の「ファンサービス」はそれだけにとどまらない。

「僕は、格闘技ファンから入ってるので、デビューした時から『お客さん目線』で自分を見ているところがあるんです。『お客さん目線』で見れば、バチバチに殴り合う試合が面白いじゃないですか。作戦を細かく立てて、勝っていくのも強さだと思うんですけど、それを試合でやればお客さんは『楽しくない』ってなると思う。

だから、僕は自分が見ても『面白いな!』と思う、本能のままのバチバチの殴り合いをいつもやりたいんです。もちろん僕が殴られてグラグラすることもあるんですけど(笑)、お客さんはそういうスリルのある試合が見たいと思うし」