週刊現代
悲願の優勝!かつての主力たちが明かす「広島カープ」最強秘話
「勝って当たり前」の時代があった

いよいよ優勝目前となった広島カープ。25年間遠ざかっていた優勝だが、かつては「勝って当たり前」の時代があった。常勝赤ヘルの主力たちが、秘話を語る。

尋常じゃない層の厚さ

達川 今年のカープを見てると、「黄金時代」といわれたワシらの現役の頃を思い出すのう。

川口 我々の全盛期だった'80年代は、'75年の初優勝を知るベテランと、猛練習を経て頭角を現した若手がバランスよく活躍し、戦力が非常に充実していましたね。

金石 リーグ優勝3回、そのうち2回が日本一で、Bクラスは打線が振るわなかった'82年(4位)のたった一度だけ。まさに「常勝軍団」でした。

達川 ヨシヒコ(高橋慶彦)や(山崎)隆造ら俊足巧打のバッターが塁に出れば、クリーンナップには山本浩二さんや衣笠祥雄さんがデンと構えて睨みをきかせとる。一分の隙もない打線じゃった。

金石 そのうえ、投手陣の層の厚さも尋常じゃなかった。北別府学さん、大野豊さん、山根和夫さん、そして川口さん。エース級が何人もいて、僕ら若手は一度でもチャンスが巡ってくると、「これを逃すわけにはいかない」と、必死でした。

達川 オールスターで、大洋ホエールズの若菜(嘉晴)さんとか、阪神の木戸(克彦)なんかに、「お前はいいピッチャーばかり受けて幸せだな」ってよういわれたもんよ。

川口 思い出せば、達川さんとは、試合中によく言い合いになりましたね。

達川 お前はワシのサインによう首を振りよったからな(笑)。1試合100回位振ったこともあるんやないか? それで、いつからか、「お前はもう好きに投げろや」って。

川口 僕も、「じゃあ、お言葉に甘えて」ってノーサインで投げるんだけど、達川さんは、絶対後ろに逸らさなかった。「サインなんかなくても、お前の球は全部捕れるわい」って。あれだけがっちり捕ってもらえると、コントロールの良くない僕でも、安心して投げられた。

達川 江夏豊さんもそうじゃったけど、昔の人は首を振ってないのに、サインと違う球を勝手に投げよるからね。それを後ろに逸らさんために、必死に練習したもんよ。

練習も遊びも一生懸命

川口 そういえば、達川さんに「お前、そのションベンカーブじゃ何年もようやれんから、ちょっと練習しよう」って言われて、試合中なのにカーブばっかり何球も投げたことがあった(笑)。

金石 達川さん、ほんと続けますもんね。僕の場合は、最大の武器だったフォーク。初球から5球連続なんてこともザラだった。

達川 へへへ、それだけお前らに力があったということよ。変化球が2球続けてボールになるとしたら、それは力のないピッチャー。もうストレートを投げさすしかない。でも、あの頃の投手陣はみんな武器になる球種をそれぞれ複数持っとったし、いろいろ試せたんよ。

金石 僕も達川さんのもとで試行錯誤して組み立てを学んだおかげで、カウントを取るフォーク、打たせて取るフォーク、空振りを狙うフォークと、投げ分けが出来るようになって、投球の幅がぐんと広がりました。

川口 コントロールといえば、やはり北別府学さんは別格でしたね。

達川 うん、コントロールの良い投手を「ボール一個分の出し入れができる」っていうけど、北別府の場合は感覚的に言って「縫い目一つ分」のコントロールがあった。あまりに絶妙なコースに投げるから、審判が「北別府の投げる試合で主審をするのは嫌じゃ」ってよく言うとった。

その点、四球を連発しながら、抜群のスタミナで乗り切ってた川口とは大違いじゃのう(笑)。

川口 お恥ずかしい限りです(笑)。

金石 ペイ(北別府)さんと並ぶ投手陣のまとめ役といえば、やっぱり大野豊さん。あれだけ器の大きく立派な人は、なかなかいない。

達川 大野は同級生じゃったけぇ、ワシも随分助けられた。こういう性格じゃから、お前ら含め、若いピッチャーをよく叱った。でも、裏で大野が「あいつは、お前らを勝たせたい一心で一生懸命言っとるんよ」って、フォローしてくれとった。

川口 思い起こせば、あの頃のカープの練習量は尋常じゃなかった。特にキャンプは地獄。初日からいきなり天福球場(宮崎県・日南市)の外周を10周。そのあと、体操して、腹筋背筋、筋力強化運動その他みっちり2時間くらいアップする。

金石 そのあと、「全力でピッチングやれ、バッティングせえ」って言われても無理な話。

達川 胃から汗がでたわ。

金石 僕は'92年に日ハムに移籍しましたが、正直「えっ、こんな練習でいいの?」って(笑)。

達川 ワシはカープ一筋じゃから実感はなかったけど、一度カープを出ると、みんなそう言うな。実際、いま、各球団の練習を見てもカープの選手が間違いなく一番しっかりやっている。これはずっと変わらない伝統じゃ。

川口 ものすごい練習をこなす一方で、遊びも一生懸命だった。当時、俺は寮の端の部屋だったんだけど、門限の時間を過ぎると、皆「ちょっとごめん」っていいながら、ガラガラと窓を開けて、塀を乗り越えて遊びに行く。それで、寝ていると外から「ガンガンガン」って叩く音がする。そのうち、いちいち鍵を開けて中に入れてやるのも面倒になって、開けっ放しにしといた。そしたら、深夜に「ガラガラ、ドスン」、「ガラガラ、ドスン」って、来るわ来るわ。眠れないっての(笑)。

金石 僕はデカいから(197㎝)、流川(広島市最大の歓楽街)でこっそり遊んでるつもりでも、ファンの人にすぐバレて「あっ、金石だ!」って(笑)。走って逃げまわるから、あのへんの抜け道はいっぱい知っている。それでも、次の日は練習にしっかり参加していたから、体力がついた。

川口 あと、あの頃は一軍と二軍の待遇の差がはっきりしていたから、「早く這い上がりたい」っていうハングリー精神が養われましたね。

達川 二軍選手が汗だくになりながら道具を運んでいる一方で、一軍は揃いのスーツが支給されてビシっときめていたな。

川口 オープンシャツにテカテカのエナメルの靴。とどめのパンチパーマに夏はサングラス。

金石 それでもって、小脇にはヴィトンのセカンドバッグ。遠征の時とか、そんな姿で駅のホームにズラーッと並ぶから、どこからどう見ても、「そのスジの人」の集会。

川口 「本物」の人たちも逃げたらしいよ(笑)。

達川 でも、一軍も二軍も、食事の質はすごく良かった。他にもプールでの練習を日本でいちはやく取り入れたりと、選手の育成には力を入れてたな。そうやって基礎体力をつけたせいか、お前らも、北別府も大野も、カープの投手は息が長い。

金石 みっちり練習をしていたとはいえ、やはり選手層が厚かったから、頭を使わないと生き残れなかった。その中でも、一番クレバーだったのが達川さん。当時は今に比べてサインもずっと複雑だったけど、達川さんはサッサッと出して、上手くリズムを作ってくれた。

伝統のインコース攻め

達川 投手陣も野手陣も、両方とコミュニケーションをとっているのは捕手だけやからね、守備のリズムは常に意識していたな。でも、頭を使うことの大切さを一番教えてくれたのは、やっぱり先輩方の姿勢よ。例えば、どうしても1点が欲しい時に、あの浩二さんが右打ちに徹したり、あの衣笠さんが2死満塁からセーフティーバントを試みたりする。「勝つために考える姿勢」がチーム全体に染み込んでいて、それを受け継いでいた。

金石 やっぱり浩二さん、衣笠さんは別格でしたね。僕たち若手は、声をかけることも恐れ多い。そういうなかで、若手を引っ張っていたのは、慶彦さんだった。とにかく二言目には「おいお前ら、練習せえ」って。

川口 寮で、夜中の2時とかにブンブン音がするんで行ってみると、慶彦さんが素っ裸で、汗だくになりながらバットを振ってる。あんな姿を見たら、俺たち若手が手を抜くわけにはいかない。

達川 野手陣も正田(耕三)とかマメ(長嶋清幸)とか、若手はヨシヒコに感化されて、練習の虫になってたな。みんな必死でバットを振っていた。

金石 コーチ陣のなかで、兄貴分みたいな存在だったのが、安仁屋宗八さん。しょっちゅう若手投手陣を連れて、朝まで飲み明かしていた。

川口 一応、先発する日の前日だけは「日付の変わる前で勘弁してやる」って言われてたんだけどね。一度、安仁屋さんと朝まで飲んで球場に行ったら、「今日、先発の北別府が肩が痛いって言うから、代わりにお前、投げてくれ」って突然言われて。「ええ~、マジですか」って。「こんな状態じゃ、とても投げられない」と思ったんだけど、力が抜けたのが良かったのか、8回を2安打に抑えて勝ってしまった(笑)。

金石 安仁屋さんには「困ったらインコースでいい。とにかく攻めろ」と、ひたすら叩き込まれました。

達川 今年は春のキャンプで安仁屋さんが臨時コーチを務めたおかげか、インコースにバンバン放らせてるわな。中崎(翔太)なんか、抑えにしては、強気にインコースを攻めよるよね。

金石 内角攻めは、広島市民球場からのカープの伝統でもある。あの狭い球場だから、厳しいところをつかないと、バットで擦るだけですぐホームランにされる。そこで随分と鍛えられました。

川口 その安仁屋さんの判断力が冴えたのが、当初は先発だった津田恒実を、抑えに起用したことでした。普段は人一倍気が優しいのに、マウンドに立つと闘志をむき出しにする。まさに「炎のストッパー」だった。

金石 僕は同級生だったから、津田とは仲が良かった。あの性格だったからみんなに慕われてね。よく飲みに行ったし、大野さんをはじめ、先輩方にも可愛がられて、いろんな技術を吸収していた。僕は、日ハムに移ってからストッパーに転向しましたけど、すんなりやれたのは、津田の調整法を常に間近で見ていたからなんです。

達川 津田の気持ちの込もったストレートは素晴らしかった。当時、メジャーから鳴り物入りでやってきたレジー・スミス(巨人)や阪神のバースを相手に、ストレートで真っ向勝負を挑んだのなんて、津田くらいのもんじゃろう。亡くなってもう23年にもなるけれど、'86年にリーグ優勝した時、あいつを胴上げ投手にできたのは、いまでも決して忘れることのできない思い出じゃ。

金石 現在の12球団のキャンプを見ていても、一番声が出てるのはやっぱりカープですね。

川口 田中広輔、菊池涼介、野村祐輔ら生え抜きが安定した活躍を見せ、黒田博樹、新井貴浩といった厳しい時代を知るベテラン勢が鼓舞する。

達川 みんなよく動いているよね。緒方(孝市)監督も2年目になって、選手のモチベーションを上げるのが上手になり、しっかりまとめている。広島で胴上げされる姿を、はやく見たいのう。

'80年代の広島東洋カープ/古葉竹識が前半を率い、'80年、'84年と2度の日本一を達成。古葉の参謀役だった阿南準郎が後任に就いた'86年にもリーグ優勝。同年に山本浩二が、翌年に衣笠祥雄が引退。長年打線の中核を担った二人の引退でひとつの時代が終わった
たつかわ・みつお/'55年、広島生まれ。'78年に広島入団後、正捕手としてゴールデングラブ賞を3度受賞。'99年から'00年まで監督を務めた
かわぐち・かずひさ/'59年、鳥取生まれ。社会人を経て'81年に広島入団。最多奪三振を3度記録。'11年から4年間、巨人で投手総合コーチ
かねいし・あきひと/'60年、岐阜生まれ。'79年にドラフト外で広島入団。'92年に日本ハムに移籍、14勝を挙げ、同球団初の1億円プレーヤーに

「週刊現代」2016年9月10日号より