週刊現代
佐藤優が思わずため息を漏らす、瀬戸内寂聴の見事な言語表現力
あぶりだされる人間の本質

外交でも使われる告白法

瀬戸内寂聴氏は抜群に文章がうまい。筆者は、原稿をうまく書き進めることができないときは、尊敬する作家の文章を万年筆で原稿用紙に書き写してペースを整える。そのうちの1冊が瀬戸内氏の『夏の終り』だ。

筋書き自体は、それほど複雑ではない。妻子のある売れない作家・慎吾と展望のない不倫生活をしている主人公・知子が、昔の恋人・凉太とも不倫をするという内容だ。あるとき知子は、慎吾に凉太との関係について告白する。

〈「あの人は慎と別れて結婚してくれっていうのよ」

知子はあんまりすらすら出たことばが、一瞬じぶんのものとも思えなかった。無意識にせよ何という狡猾な告白だろう。真実を何ひとつ告げないこんな告白の方法もあったのか。慎吾は皮肉な声でいった。

「そんなこと、わかってるさ」

「えっ」

「当りまえじゃないか。知子のことなら何でもわかってる」

知子の頬が冷えた。慎吾の表情の少ない顔をまじまじとみつめた。そこからそれ以上、何も見出すことが出来なかった。けれどもつづいた慎吾のことばが慎吾の『わかってる』程度を教えた。

「いいかげんにあしらっておいた方がいい。甘い顔みせるとつけあがってきて、深入りされてしまうとうるさいよ」〉

知子は、「あの人は慎と別れて結婚してくれっていうのよ」と言って、あくまでも自分は涼太から言い寄られている被害者のような表現をしている。そうすることで、自分の気持ちは一切述べずに済む。それだから知子は慎吾に対する責任も負わない。まさに「真実を何ひとつ告げない告白の方法」だ。政治や外交の世界でも、こういう告白がしばしば用いられる。

それに続いて、本質的に理解できない男と女の関係が「『わかってる』程度」という短い言葉に圧縮されている。どうやれば、このような見事な言葉遣いができるのか、溜息が出てくる。いくら訓練を積んでも到達できない表現力を持った人がいるが、瀬戸内氏がその1人であることは間違いない。

情景描写としては、それまで慎吾と妻の関係については納得しているはずの知子が逆上する場面が面白い。慎吾の机にある封筒からぬきだされた妻からの手紙を思わず読んでしまう。

〈「ハボちゃん、ぶじ帰っていきました、よろしくって。今ラジオで一万メートルの海底にもぐった潜水艇の話を聞きました。そんな深い水中にもやはり生きて、動いている世界といのちがあるというのが怖いみたいです。

高倉さんのデブ奥さまの服仕たてています。お嬢さんの方だと縫ってても愉しいけれど――この人どうしてこう趣味が悪いのかしら。

ラリーがすこしおなかこわしていて元気ありません。メメのところへは、毎晩、酒屋のトラが通ってきて恋の季節です。洋子がメメの口ひげをきってみたいとおっかけるのでメメは大分おヒスのようです。

洋子はこのところ試験勉強で気味が悪いみたいな慎みようです。

この前のケーキ買ってきてくださいって。

咳はいかが。

ゆき

しんごさま」〉

なぜ、知子は傷ついたのか

なぜこの手紙の内容に知子が激怒したかの謎解きが実に興味深い。人間の複雑な内面を瀬戸内氏は見事に言語化している。

〈知子の知らない知人の名、知子の知らない猫や犬……これまで強いて描いてみようとしなかった彼等の『家庭』を出来るだけ写実的に思い描こうとして、知子はかえって反射的に自分の周囲を見まわしていた。

窓際の二つの机、机の上にも畳にも散乱した本や布や型紙、未整理の郵便物、学生下宿と大差ない殺風景さ。犬や、猫も、憩いの場の甘さも、まして、恋の隠れ家の秘密めかしいなまめきさえ、もはや、そこにはあとかたもなかった〉

妻子だけでなく、犬や猫に関する何げない記述に端的に現れている生活の保守性に知子は圧倒されたのである。

あるとき知子は、自分の感情を抑えることができなくなり慎吾の家を訪ねていく。妻子は留守だったので修羅場にはならなかったが、知子はそれ以上に傷つく。

〔PHOTO〕iStock

〈日盛りの庭には草が埃をかぶり、土が乾涸びていた。ペンキのはげた空の犬小屋が雨ざらしになり半分くちかかっている。

「犬どうしたの」

「ずっと前死んだ」

あの手紙はいつのものだったのか。

入った時から肌にひやっと感じていたものの正体がしだいにわかってくるようだった。家全体にどこか投げやりな心のこもらないすさんだ感じがただよっていたのだ。

家には人が住んでいるのに心が住んでいない冷たい雰囲気があった。知子の胸の奥に熱くたぎってくるものがある。まともにのぞいてみたことのない八年間の慎吾の妻の心の奥の昏さと荒涼が、真向から、黒い冷たい風になって吹きつけてきた。

この家で夫を女の部屋に、子供を学校に送った後、ひとりで坐っている、中年すぎた小柄の女の薄い背姿の孤独な影。

心に痛みがはしった。震えが背骨をつきあげてきた。じぶんのしてきたことの怖ろしさにつきあたり、はじめて知子の頬が青ざめてきた〉

人間は本質において性悪な存在だ。いかに個人が、優しく、善意の人であっても、人と人の具体的な関係が、愛だけでなく、同時に憎しみをつくりだしていく。しかし、同時にその憎しみを脱構築していく力が人間には備わっていることを、瀬戸内氏は見事に描いている。

『週刊現代』2016年9月10日号より