国家・民族
移民の「祖国への忠誠心」はたかだか数十年では消えない
ドイツで噴出したトルコ系移民の思い
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「ドイツに長く住むトルコ系の人々は、我が国に対する大きな忠誠心(Loyalität)を培ってくれることを期待する」――。

8月末、メルケル首相はある地方紙の取材に答えて、そう言った。「忠誠心」という言葉は、最近のドイツでは滅多に聞かないので、ちょっとビックリ!

ドイツにトルコ人労働者が大量に入り始めたのは60年代のこと。もっとも、彼らは勝手に入ってきたわけではなく、労働力の不足していたドイツと、貧困に喘いでいたトルコのあいだで、国と国が取り決めた話だ。この時にやってきたトルコ人が、ドイツ経済の発展に果たした役割は大きい。

ただ、仕事がなくなれば帰国すると思われていたトルコ人は、ドイツの好況が終わっても帰らなかった。

それからそろそろ50年、すでにドイツ国籍を取得しているトルコ人も多く、その子供や孫、ひ孫まで含めると、今やドイツに暮らすトルコ系移民は300万人にも上る。トルコ人は、すでにドイツの一部となっているといってもよいだろう。

それなのに今頃、メルケル首相がわざわざ「忠誠心」などを持ち出したのには理由がある。去る7月31日、トルコ系移民が、ケルンでエルドアン大統領支援の大集会を打ったからだ。

「祖国」を取ったトルコ系移民

ケルンはノートライン−ヴェストファーレン州にある都市だが、お隣のデュッセルドルフと並んで、外国人の割合が非常に高い。すでに2011年の時点で、外国人率は30%を超えていた。

当然、トルコ人の数も多く、報道によれば、この日、集会に集まったのは4万人。とにかく見渡す限りトルコ国旗の波、波、波。トルコ色満載だった。

集会の目的は、エルドアン大統領支援である。これにも説明が必要なのだが、現在、ドイツではメディアを中心に、エルドアン攻撃が激しい。特に、7月15日のクーデターのあと、トルコ政府よる大々的な粛清が始まってからは、エルドアンは独裁者、反民主主義者、悪の権化といった報道のされ方だ。

たしかに、エルドアン大統領が現在やっていることはかなり強引だ。また、難民問題でトルコに弱みを握られているドイツ政府が、エルドアン大統領に対して極めて弱腰なこともあり、ドイツ国民は腹を立てている。

ただ、私の受ける印象では、ドイツにいるトルコ人とて、エルドアン大統領のやっていることが、すべて非の打ち所がないなどとは決して思っていない。それどころか、これは少しまずいのではないかと心配している。

しかし、そんなことはすべて承知の上で、彼らはエルドアン大統領の支援に立ち上がった。

なぜか? おそらく、エルドアン大統領とともに、自分たちが攻撃されたように感じたからだろう。

ドイツで生まれ、ドイツで学校に行き、ドイツで仕事をし、多くの時間をドイツ人とともに過ごしているにもかかわらず、彼らは自分たちの「忠誠心」をトルコに帰属させたのである。

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デモに集まった人々の多くは、別にそれほど政治的なわけではないと思う。本来なら、デモに参加することなど一生なかったのではないか。

ところが現在、トルコとドイツの関係はあまりにも悪い。こうなると、トルコ人としては、知らん顔ばかりはしていられない。ドイツかトルコか、態度を表明しなければならなくなり、その結果、多くのトルコ人が「トルコ」を取った。

トルコが、彼らにとって、あまり知らない「祖国」であることを思えば、この現象は非常に興味深い。

忠誠心は、理性よりも感性に近い

去年、ドイツには110万人もの難民が入った。もちろん、彼ら全員が滞在を認められて移民となれるわけではない。

しかし、実際問題として、相当数の外国人がドイツに留まることは確実で、つまり、これからのドイツの重要な課題は、いかにして「文化も習慣も違う人々をドイツに統合するか」ということになる。

「統合」が、言葉を覚え、基本的人権や民主主義の仕組みを理解し、ドイツの法律に従い、その文化に馴染むという話なら、それは時間をかければ可能だろう。ドイツ人が移民にも、ドイツ的文化、ドイツ的価値観を共有してもらおうとするのはわかる。感謝の念を期待するのもわかる。しかし、冒頭の「忠誠心」となると、話は別だ。

忠誠心はそんなに簡単には熟成しない。40年の歴史を持つトルコ人移民でさえ、いざというときには、心はトルコに回帰する。そして、それは、ドイツに34年も住む私もおそらく同じだ。

私はドイツ語を解すし、ドイツ文化も受け入れている。法を犯すことなく、税金も納め、図らずもドイツの少子化対策にまで貢献した。しかし、だからと言って、ドイツに対して忠誠心があるかというと、おそらくないと思う。

そもそも忠誠心というのは、何か、事件が起こらない限り湧いてこない。それは日本にいる日本人だって同じだろう。平和な日常生活では、忠誠心の登場する舞台がない。忠誠心が出てくるには、現在のドイツのトルコ人のように、二者択一を迫られる状況が必要だ。

私は、今まで幸いにも、ドイツか日本かというような切羽詰まった状況に陥ったことがなかった。しかし、もし、そういう事態が生じ、意思表示が必要な状況に立たされたなら、今回のトルコ人たちと同じく、日本を取るだろう。

しかもそれは、何かを考えた結果ではなく、“心の赴くままに”そうなるような気がする。ひょっとすると、これが忠誠心かもしれない。

だとすれば、忠誠心は、理性よりも感性に近い。忠誠心を育むのは、自分が外国人だと思っているうちは無理だ。かつて外国人だったということさえ忘れるほどの長い時間が経過する必要がある。

大和時代に大陸から日本に来た人たちは、きっと日本に忠誠心がある。80年前に来た人たちには、まだないだろう。

国家のアイデンティティー

今のドイツでは、忠誠心というのは微妙なテーマでもある。一つ間違えば、先の大戦やホロコーストの話にはまり込んでしまうし、反対に、その存在自体が悪いこととして、まったく否定されてしまうこともある。

たとえば去年の暮れ、南ドイツ新聞のジャーナリストが、「国家のアイデンティティーとは妄想である」という不思議な理論を展開した (http://www.sueddeutsche.de/politik/deutschland-und-die-auslaender-nationale-identitaet-ist-ein-hirngespinst-1.2766064)。

これによれば、国家などというものは、それを信じる人間の頭の中にあるだけだという。進化論から見れば、人間は皆、サルという祖先を持った同じ動物であり、よって国家の遺産なども存在しない。つまり、ドイツ文化も妄想であると。

これには正直言ってびっくりしたが、彼なら「忠誠心」も悪しき妄想として、ばっさり切り捨てるに違いない。メルケル首相が、トルコ系の移民にドイツへの忠誠心を求めたことを、彼はどう受けとっているのだろう。

私は、国家を全否定する人のことは信じない。「自分がどこかの国に属しているとは感じていない」などという人がたまにいるが、それは国際人ではなく、無国籍人でしかないと思う。

私は自分の先祖がサルであったことは否定しないが、偶然にも日本に生まれてこられて幸せだったと感じている。そして、日本以外の国々があることも嬉しい。

だからこそ、トルコ料理を食べ、イタリアオペラを見て、フランス音楽を聴き、ドイツ文学を読み、紹興酒が飲める。実に幸せなことではないか。これらすべてが「妄想」だとは、とても信じられない。