学校・教育 フィンランド
学力世界一のフィンランドでは「九九」を暗記せず、「電卓」を使う
ムダな努力をやめることが成功への近道

ムダな努力をやめたほうが、成功への道は近づく――“ポスト・マルコム・グラッドウェル”と評される気鋭の若手ジャーナリストが、膨大な事例を取材し、このことを証明した『時間をかけずに成功する人 コツコツやっても伸びない人 SMARTCUTS』が全米で話題になっている。

今回は本書の中から、学力世界トップのフィンランド人学生が、九九を覚えない理由について解説された章を特別公開する――。

テストも宿題も少ないのに…

2010年春、ハーバード大学の研究者トニー・ワグナーが学校現場の視察にフィンランドを訪れた。人口も規模も米国ミネソタ州と大差ないが、数学、理科、読解力の国際的な調査でフィンランド人学生は常に世界のトップかそれに近いレベルを維持している。
 
首位であること自体はさして重要ではない(レベルが低い競争でも、誰かが必ず1位になるのだから)。見逃せないのは、フィンランドが最小限の努力で首位を獲得している点だ。

視察で驚くべき事実が判明した。フィンランドでは、就学年齢が他国と比べて1年遅い。1日の授業コマ数も授業時間も少ない。テストも宿題も少ない。そして子どもたちは学校が楽しいと感じていたのだ。
 
さらに、フィンランドの教師が授業に費やす時間は年間600時間。1100時間の米国と比べるとおよそ半分だ。
 
フィンランドが教育に成功している根拠は、何もテストの点数に限った話ではない。

教育の成功が経済にも波及している。国民1人当たりの研究者数も他国より多いし、各種調査でも技術革新は世界トップに挙げられている。

失業率は平均より低く、成人の82%が高卒または同等の学歴を持っており、先進国の平均を12%上回っている。

「九九」はいらない、電卓を使え!

とはいえ、数十年前までフィンランドの教育制度は明らかに並みのレベルだった。学生の成績は読解力こそ長けていたが、他の科目は軒並み平均かそれ以下にとどまっていた。
 
つまり、フィンランドの教育は、たった1世代で世界中がうらやむレベルに変貌を遂げたのである。ワグナーの視察の目的もそこにあった。
 
著名な物理学者でプリンストン高等研究所名誉教授のフリーマン・ダイソンにインタビューしたことがある。教育のあり方についてたずねると、ダイソンは「小さな子どもたちに数学を無理やり教えるのは大きな誤りです」と指摘した。

「では、学校教育でレベルの高い数学はどのように教えればいいのでしょうか?」
「不要ですね」
 
量子電磁力学や固体物理学の発展に貢献後、ゲーム理論の研究に携わってきた天才がこう言い切るのだ。

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ダイソンは、教育不要論ではないと断ったうえで、「一般人として知っておくべきことは当然ありますが、教え方が完全に誤っているんです」と指摘する。

ダイソンによれば、米国の学校教育は、でこぼこの野原での運転術ばかり指導し、ハイウェイの走り方を教えないようなものだという。最大の原因は暗記重視の教育にある。本当に必要なのは、数学という道具の使い方を教えることだ。
 
彼の主張を端的に言えば、九九など不要。学校では電卓を持たせればいい。草ぼうぼうの道を平らにして、子どもたちが走りやすい環境を作るのが、親や教師の役目と言っているのだ。

ローマ時代から続く「電卓論争」

電卓の価格が手ごろになってからは、学校で子どもたちに電卓の使用を認めるべきかどうか、ずっと論争が続いている。

「子どもに電卓」と聞いて怒り出す人は多い。「子どものうちは機械に頼らず、基本的な算数を身に付けるべきだ」と。確かに電卓反対派の言い分も一理ある。

だが、電卓は計算を助けてくれるというよりも、代わりに計算してくれる道具だ。面倒な計算を教えずに、こういう文明の利器に頼ってしまって、本当に子どもたちは国際的な競争に勝てるのだろうか。世界屈指の偉大な数学者であるダイソンは、なぜこんなことを言い出したのだろうか?

【PHOTO】iStock

各種調査によれば、電卓を使用する学生は、そうでない学生と比べて数学に対する意識が高い。さらに、科学、技術、エンジニアリング、数学(それぞれの英語の頭文字を取って「STEM」と呼ばれる)の分野で高度な計算処理能力が求められる職業を志望する可能性も高いという。
 
ダイソンは、子どもたちを勉強好きにさせたいなら遊びの要素が不可欠と指摘する。例えばレゴで何かを組み立てるとか、博物館を訪れるとか、いろいろな道具を使って実験をするといった具合だ。

「数学はおもしろくなければならない」というのが、ダイソンの持論だ。

「九九よりエクセル」というリアリティ

核心は「物事を的確に考えること。そのスキルはほぼ無料で手に入る」という点だ。
 
実は、計算機に関する学術研究の圧倒的多数は、電卓のような計算ツールを活用することで概念的な理解力が高まると結論づけているのだ。つまり、道具を最初に学んだほうが、その科目を早くマスターできるのである。
 
これは前出のダイソンも指摘していた。ダイソンによれば、参加体験型学習とツールの活用によって、学びたい気持ちが芽生え、迅速なフィードバックが得られる。しかも、何でもかんでも暗記漬けにするよりも数学をしっかり把握できる。

そして、仕事の中でイノベーターとしての役割を担ううえで、深い専門知識が必要になったときに初めて高いレベルの思考法やプラットフォームの応用力が求められるのだ。

ハイテクが普及する前は、抽象的な知識を持つ人間が大切にされた。ところが、スマートフォンやらウィキペディアやらが普通に使える時代に、どこかの国の2番目に大きな都市の名前をそらで言えることにどれほどの価値があるだろうか。むしろ、プラットフォームを上手に生かして必要な情報を探し出す能力のほうが重要ではないか。
 
今はプラットフォーム時代だ。計算能力よりも、独創性豊かな問題解決策を編み出すことのほうがずっと意味がある。つまり、プラットフォームを活用すれば、1から基礎を身に付けるよりも速く基礎をマスターできるのだ。

教室での電卓使用を長年研究してきた研究者らは「こうした道具の利用を低年齢のうちに教えないと、青年期になって必要な作業能力が身に付かない」と警告する。
 
世の中が進化すれば、教育のあり方も常に見直す必要がある。そのときどきのプラットフォーム、つまり与えられた環境を踏まえて、最低限やらなければならないことを見極めるべきだ。今の子どもたちなら九九ではなく、エクセルが使えるようになったほうがいい。

すべての科目を隅から隅まで教えるよりも、プラットフォームの使い方を最初に教え、あとは本人が興味を持った分野を深堀りさせるほうが効果的だ。

「ハーバード式メンター教育」を公立学校に導入

ハーバード大学のカリキュラムや人脈は教育界でも羨望の的だ。教員採用基準がとてつもなく高く、しかもメンターとして念入りに学生の面倒を見ている。だからハーバードに行った学生は、いきなり“成功の階段”の高いところから上り始める。

これと同じ方式がフィンランドの公立学校に導入されていたのである。
 
もちろん、教育熱心で優秀な教師は世界中にいる。だが、教育制度全体を底上げするには、教師全員の教育水準を徹底的に高めなければならない。フィンランドのように、平均よりも速く学生の才能を伸ばすには、熱血教師が1人だけで、あとは「可もなく不可もなく」というような環境ではどうにもならない。

フィンランドが教師という職業の魅力を高めた結果、採用の競争率も上がった。今や教員採用基準は世界最難関だ。

「まるで新しい職業が生まれたかのようだ。授業の準備、同僚教師とのコラボレーション、保護者・生徒との面談など、どれをとっても従来とは比較にならないほど充実した労働環境」とワグナーは評価する。
 
小中高を問わず、修士号が教員採用基準のため、フィランドの教師は非常に権威ある職業だ。教師になると、転職せずに定年まで勤め上げるのが一般的だ(米国では最初の5年間に別の職業に転じる教師が5割)。
 
しっかりと養成された教師は、子どもたちに「学び方」を教えるのがうまい。これが最大のメリットだろう。一方、中途半端な教師は往々にして「覚え方」を教える。

フィンランドの教育は、「何を考えるか」ではなく、「どのように考えるか」に重点を置く。ここが学校をおもしろく、有益な場にするポイントだとワグナーは指摘する。

世界ナンバーワンの秘密 

フィンランドの学校では、職業能力の訓練にも時間を確保できるように、カリキュラムのスリム化にも取り組んだ。抽象的な理論ではなく、実習が中心だ。あらゆる分野を表面的に見ておくのではなく、分野は少なくても深くじっくり掘り下げる。
 
電卓の使用も自由だ。

「ここの子どもたちは、自分の将来を設計するセンスもきわめて高い」とワグナーは評価する。自分の人生を自分で切り開く“起業家精神”を叩き込まれる。たとえて言えば、従来の教育は、工場のラインにぼんやりと立って、流れてくる知識を右から左に渡すだけだった。かたや今のフィンランドでは、レンガの山を子どもたちに見せて、さあ城を造ってみようと呼びかける。
 
修士以上の優秀な教師が、暗記ではなく、道具と問題解決術を手ほどきする。このようにしてフィンランドは、高度な教育のプラットフォームを築き上げた。だから子どもたちは、いきなり階段の高い位置から上り始められる。

これが世界ナンバーワンの秘密だった。