バスケットボール エンタメ
アスリートの偉業を目撃した時、なぜ私たちは「物語」を求めるのか
ステフィン・カリーの「敗北」に思う
激戦を制し優勝トロフィーを掲げるクリーブランド・キャバリアーズのレブロン・ジェームズ〔PHOTO〕gettyimages

ウォリアーズのまさかの敗北

アメリカのプロ・バスケットボールリーグ、NBAのシーズンが閉幕して1ヵ月、この10年で一番と言って過言ではない劇的なフィナーレの熱狂から、やっと少しだけ回復して、この原稿に向かっている。

筆者が応援するゴールデンステート・ウォリアーズは、プレーオフ決勝ラウンドの最終戦、最後の1分まで同点で競った末にクリーブランド・キャバリアーズに敗れ、惜しくも昨シーズンに続く2連覇を逃した。

かつてマイケル・ジョーダン率いるシカゴ・ブルズが樹立し、不動と言われたシーズン72勝の記録をあっさりと破り、優勝が確実視されたウォリアーズのまさかの敗北を、筆者はテレビ越しに、チームの地元サンフランシスコ・ベイエリアのファンたちとともに嘆いたのだ。

だが、キャバリアーズの選手たちが優勝トロフィーを掲げる光景を眺めながら、筆者は心のどこかで、ウォリアーズが負けてほっとしている自分に気づいてしまった。必死に応援したはずのウォリアーズがもし勝利していたなら、自分はなぜか、心に深い傷を負わされていたような気がしてならなかったのだ。

そして翌日、決勝の興奮を冷ますように各紙スポーツ欄を読み漁っていると、不思議なことに、報道のあちこちにも、ウォリアーズの敗北に対する一種の安堵感――いや具体的には、ウォリアーズのスター選手、ステフィン・カリーの敗北に対する安堵感――が、漂っているように思えた。

ゴールデンステート・ウォリアーズのステフィン・カリー〔PHOTO〕gettyimages

ステフィン・カリーは、報道陣の投票で決まるNBAの最優秀選手賞(MVP)を2年連続で受賞し、またユニフォームの売上枚数も全選手中1位と、メディアとファンの両方に愛されるスーパースターである。筆者もシーズンを通して、彼の活躍に一喜一憂してきたはずなのだ。

そんなNBAきってのスター選手が敗北にうなだれる姿を見て、我々は悲嘆する一方で、なぜほっと胸を撫で下ろしてしまうのだろうか?

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