直木賞作家・葉室麟が明かす、ある新聞記者の「仕事の流儀」
本当の意味での対話とは

対話によって編まれた歴史

毎日新聞西部本社学芸部デスクの矢部明洋氏から、「歴史を語る対談をやりましょう」と誘われたのは、いつのことだったか忘れてしまった。

いつものように博多でお酒を飲みながらの話だったかもしれない。いや、お酒を飲んだのはすでに始まった対談の後だったか。

いずれにしても口の周りからあごにかけて髭で覆われたダルマのような矢部氏と古代から平安、鎌倉、戦国、江戸、明治時代へと歴史について、月一度、語り合い、夜は中洲へというパターンができあがった。

わたしもそうなのだが、矢部氏もひとが集まるのが好きで対談後の会食はふたり以外に毎日の記者や地元出版社の編集者、さらに書店員さんまでゲストがいて、対談の延長戦で語り合った。

酒が入っての放談はしかたがないのだけれど、その前の対談でも、わたしは思いつくままにしゃべり、果たしてこれでいいのだろうか、と思っていた。

だが、紙面になってみると、思いのほかちゃんとしている。論旨が明快だし、整合性がある。対談後に飲酒して記憶がシャッフルされているので、「なんだ、案外、大丈夫じゃないか」とほっとした。

しかし、さすがに何回も対談を重ねていくうちに、紙面で展開されているのは、わたしの話した内容を素材に矢部氏が再構成した「論」なのだということがわかってきた。

もちろん、話した以外の言葉がつけくわえられているわけではない。ただ、微妙な言葉の省略といくつかある表現のうちからの選択が、矢部氏の考える「論」に組み込まれている。

だから、冗漫で放埒なしゃべりが整理され、ひとつの主張となっているのだ。

念のために申し上げると、これは矢部氏が自分の考えに合わせて、わたしの話を構成したという意味ではない。

わたしの口から出る雑駁な言葉の意味を考え、さらにその底にある主張にまで思いをいたして、理解し、共感できる部分をすくいあげていった作業だと思う。それは、単なる対談ではなく、本当の意味での、わたしと矢部氏の、

――対話

だったのではないか。

芳醇な香りが味わえる一冊

今回、『日本人の肖像』としてまとめられた本のうち、矢部氏との対談には、「そうですね」、「いやどうだろう」「もう少し考えましょうよ」という矢部氏の肉声が行間に埋め込まれているのがおわかりいただけるだろうか。

ところで対談を続けた2014年11月、矢部氏は脳梗塞と脳出血で倒れた。誰よりも活発で日なたにいて大声で話し、笑うのが似合う新聞記者がベッドに横たわり、言葉を発することもままならなくなった。

わたしもかつて地方紙の記者をしていた。それだけに、とにかく外へ出たい、現場に行きたい、多くのひとと話したいという新聞記者が、その活動を封じられ、自ら発信することもできなくなった身を切られるような辛さは痛いほどにわかる。病苦というだけのことではないのだ。

矢部氏が病となってからも対談は学者の方と続けられた。各分野での第一人者の学者ぞろいだった。毎回、何事かを教えられ、歴史についての理解が深まった。

対談した後、夜の街に繰り出して酒を飲み、さらに語り合うのも矢部氏の流儀を踏襲した。

酔って談論風発、歴史や政治、社会を語りつつ、そばにはいつもの矢部氏がにこにことして杯を口に運ぶ姿を感じていた。

この本の中には対談させていただいた先生方の学識に裏打ちされた歴史への情熱も込められている。

それだけに、一読いただければ、芳醇な香りが味わっていただけるのではないかと思う。

矢部氏と彼の家族は、現在も懸命に病と闘っている。

葉室 麟(はむろ・りん)
小説家。1951(昭和26)年、北九州市小倉生まれ。西南学院大学卒業後、地方紙記者などを経て2005(平成17)年『乾山晩愁』で歴史文学賞を受賞し、作家デビュー。2007年『銀漢の賦』で松本清張賞を、2012年『蜩ノ記』で直木賞を受賞。「地方の視点から歴史を描く」を信条に、精力的に執筆を続けている。『いのちなりけり』『秋月記』『この君なくば』『春風伝』『鬼神の如く 黒田叛臣伝』など作品多数。

読書人の雑誌「本」2016年9月号より