環境・エネルギー
日本人が発明した「人工光合成」に世界がこれほど注目するワケ
2050年の実現に向けたチャレンジ
台風の発生率の上昇は熱帯低気圧の増加によるもの。その熱帯低気圧の原因に温暖化が関連しているのです〔PHOTO〕gettyimages

温暖化現象はもはや宿命

どうも蟬の数が増えているように感ずる。焼け付くような日差しの中、熱中症を心配しながら歩いていると公園の灌木にもアブラゼミなど手に取れるような場所で所狭しと鳴いている。

筆者が子供の頃の夏休み、子供達は総出で毎日のように蟬採りに明け暮れていた。蟬もおいそれとは捕まらず逃げ回っていた。必然、蟬の生息密度が低く見えていたのだろうか?

化学反応で「定常状態」という概念がある。物質を生成する速度と消滅する速度が等しいときには物質の濃度に見かけ上の変化はなく安定して見える。しかし、どちらかの速度がわずかに変化した場合、例えば生成の速度が速くなるか消滅の速度が遅くなると物質の濃度は高めの状態に移動する。目に留まる蟬の数も見かけの定常状態の移動なのか?

毎年のように、「今年はどうしてこんなに暑いのか」、などと感じるのは筆者ばかりではないらしい。ニュースに耳をそばだてながら、自身が年齢を重ね、体力が低下して温度変化に対応できないのかと自戒するむきもあろうが、観測の結果は実際に地球の温度上昇を示しているという。気候の見かけの定常状態もじわりじわりと移動しているようだ。

スウェーデンのスバンテ・アレニウスは、電解質に関する業績でノーベル化学賞を受賞(1903年)しているが、非常に多才な科学者で大気の温暖化と二酸化炭素濃度の関係について初めて考察し、その推算式も提案している。

大気中の二酸化炭素濃度が増加するとその保温効果で大気温が上昇すると考えたのだ。この影響だろうか文学にも登場する。宮澤賢治「グスコーブドリの伝記」に二酸化炭素による温暖化の話が出てくる。

世代間で受け継がれる研究課題

人類はこれまでに石油などの化石資源を、いわば頓着なく使ってきた。エネルギーについては自然採取の食いつぶし型の消費をしてきた。石油をエネルギー源として燃せば二酸化炭素が発生する。植物が光合成で気の遠くなるような時間をかけて蓄積してきた二酸化炭素は化石資源となっているが、大量に化石資源を燃焼させれば当然、大量の二酸化炭素が放出される。

アレニウスの想像が現実のものとなりつつあるのである。このまま放置して手遅れになる前に、地球食いつぶし型ではなく、快適地球を維持できる定常型のクリーンエネルギーシステムを開発しなければならない。太陽光を利用して電気を作る太陽電池のいっそうの普及や、水を原料に水素などのクリーンエネルギー物質を作る人工光合成の開発が急がれている。

ブルーバックス『夢の新エネルギー「人工光合成」とは何か』では、人工光合成への挑戦をできるだけわかりやすく解説しようとした。文字通り、人工光合成とは、自然の光合成を学び、真似て、あるいはまったく異なるしくみだが、機能の一部は自然を超えるものを開発しようとするものである。

例えば太陽光で水を分解してクリーンエネルギー物質である水素を作るのである。二酸化炭素を出さない「カーボンコントロール社会」の実現に挑戦するのが人工光合成である。この分野は、本書で述べるように1967年のホンダ–フジシマ効果の発見以来、その基礎研究では我が国が世界をリードする分野の1つである。しかし、いつ実現できるのか? 社会に全面的に適用しようとする目標年を2050年と設定しているが、そんな悠長なことで大丈夫か。人工光合成はどこまで進んでいるのか?

何が問題なのか? 社会はどう考えたら良いのか? という視点で本書を読んで頂けたら幸いである。

長期的な取り組みはマラソンレースに例えられることがあるが、人工光合成の実現はマラソンというよりも、駅伝競走と考えたい。各区間を全力で疾走しつつ次世代にバトンを渡そう。各区間記録の達成が、山登りに例えれば、初登頂、新ルートの発見など科学史に残る業績となろう。2016年の時点で高校生なら、人工光合成実現目標年の2050年には約50歳だ。

社会のリーダーになっているだろう。次世代を担う方々には人工光合成の進捗を見守り、自身が是非バトンを受け取り、その研究推進、技術推進に参加して頂きたいと心から願うものである。

研究最前線では研究者は自身の研究が将来どのように社会の役に立つかを「知の望遠鏡」を通して見ようとする。一方、現実の社会生活では解決してほしい課題の背後に潜む科学を「知の顕微鏡」を通して理解しようとする。

社会が「知の顕微鏡」を通して科学を楽しみ、育み、やがては「知の望遠鏡」と連携して科学の恩恵を受けるという両者の良好な関係は健全なサイエンスコミュニケーションという概念に期待されるものだ。我が国はそのような社会でありたいと願う。

本書が、この望遠鏡と顕微鏡をつなぐ役割を果たせれば、望外の喜びである。

井上晴夫(いのうえ・はるお)
首都大学東京特任教授。1947年、滋賀県生まれ。69年、東京大学工学部工業化学科卒業。72年、同大学大学院工学系研究科を修了し、東京都立大学工学部の助手となる。83年、博士号を取得し、日米科学技術協力事業によりノースカロライナ大学へ7カ月間留学。85年、東京都立大学講師。87年、同大学助教授に就任し、金属ポリフィリンを用いた水を電子源とする可視光電子伝達反応系を発表。91年、同大学教授。2000年11月、CREST「水を電子源とする人工光合成システムの構築」研究代表者(~05年10月)。05年より現職。

読書人の雑誌「本」2016年9月号より