政治政策
父の、母の、遺骨を探し続ける戦没者遺族の慟哭
特定は困難。それでも、希望は捨てない

0.000022222%。奇跡に近い数字

世界各地に眠る戦没者の遺骨、その数113万体。すべての遺骨を収容することは不可能だろうが、一人でも多くの遺族にそれを引き渡すことが、国家の責務ではないだろうか。『遺骨』の著者・栗原俊雄氏(毎日新聞)の特別レポート第四弾――。

やってきました常夏記者。「栗原か。また戦争の話だろ? もう9月なんだから、8月ジャーナリズムはお呼びじゃないぞ」。そんな声が聞こえてきました。

なにをおっしゃるウサギさん、大日本帝国の戦争は71年前に終わりましたが、その帝国が残した大借金のツケは、71年後まで戦争体験者や遺族に押しつけられているんです。

♪もしもしカメよカメさんよ、そんな借金つゆしらず、何を読んだらいいんだい♪♪
♪♪いい質問ですウサギさん。トコナツ通信読みましょう♪♪

そうなんです。常夏記者こと栗原は、ほかのメディアが8月に限定している戦争関連の報道=8月ジャーナリズムを1年365日やっているんです。本当に重要なことは、繰り返し伝えるのが粋ですから。江戸っ子だってねえ。板橋の生まれよ。「板橋は江戸じゃない」という声が聞こえました。不規則発言、議事録から削除して下さい。

第二次世界大戦の日本人戦没者310万人のうち、およそ113万体の遺骨が残されたままである。激戦地だった太平洋諸島や東南アジア諸国、あるいは中国大陸。シベリア抑留の犠牲になった旧ソ連領内などだ。それらの収容を促進するため、「戦没者遺骨収集推進法案」(推進法案)法が今年3月に議員立法で可決成立したことは、前回書いた通りだ(https://gendai.ismedia.jp/articles/-/49342)。同法は戦後補償史の画期と成りうる内容だが、実は課題が山積している。
 
まず敗戦から71年が過ぎ、収容自体が難しくなっている。理由は①もともと比較的収容しやすいところから始めたため、時間の経過とともに難しくなっている②関係者が高齢化し、有力な情報を得にくくなっている③遺骨のある場所、特に海外では地形の変化や都市開発などで分かりにくくなっている、ことなどによる。
 
また、苦労して遺骨を収容しても、身元が分かることは極めてまれだ。たとえば沖縄で収容されたおよそ18万体のうち、特定出来たのは4体だけである。身元判明率は0.000022222%。奇跡に近いのが実情なのだ。

【PHOTO】gettyimages

遺族の本音

なぜ、遺骨の身元を特定できないのか。

掘り出した遺骨に名前が書いてあるわけではない。そして以前筆者が書いた通り、東京大空襲の被害者は、ろくに名前も記録されないであちこちに仮埋葬された。戦時下、極限状態にあった死亡者は氏名や埋葬された場所など、記録されないで埋められたり放置されたりしたのだ。硫黄島(東京都小笠原村)のような激戦地ではなおさらである。ここは首都・東京都の一部でありながら、いまだ1万体以上の遺骨が眠っている。
 
遺骨とともに氏名などが書かれた遺品がみつかれば、手がかりになる。しかしそうしたケースは激戦地ほど少ない。たとえば沖縄で30年以上、戦没者遺骨の収容をしている具志堅隆松さんの経験では、そうした遺品とともに見つかる遺骨は軍人で5%、民間人はほとんどゼロ、という。衣服などに名前が縫い込まれていても、もともと植物から作られているため土に帰ってしまうのだ。
 
2012年7月、筆者は硫黄島で厚生労働省が派遣した遺骨収容団に参加した。総勢50人近くの団員のうち、遺族が10人ほど。敗戦時ゼロ歳の人が、このとき67歳である。
自衛隊が使う滑走路西側の現場で、たくさんの遺骨が収容された。筆者はそのことを知っていた。新聞記者としては、父親の遺骨を探す遺族に聞きたかった。

「苦労して遺骨を収容しても、身元はまず分かりません。お父さんのものかどうかは分からないんですよ。それでもなぜ、こんなにつらい思いをして遺骨を探すのですか」と。しかし、遺族の心情を想像して、聞けなかった。

そんな筆者の気持ちを察してか、現場で一緒になった70歳の女性が話してくれた。4度目の渡島。立っているだけでも暑くてつらい現場で、細い腕でスコップをふるっていた。

「本当は、健康な体で送り出したんだから、健康な体で返してほしかった……。どれがお父さんの骨か分からないなら、出てきた骨はみんなお父さんの骨だと考えるんです」

各地で収容された遺骨は、引き取り手が見つからない場合、ひとまず東京・霞ケ関にある厚生労働省の専用室に安置される。一定期間のうちに身元特定ができないと判断された場合、東京・千代田区の国立戦没者墓苑に移されるのだ。今年7月末現在、36万4893体の遺骨が納められている。事実上の「無縁仏」である。
 
身元特定でわずかな光明がみえたのは2003年。国が遺骨のDNA鑑定を始めた。収容された骨(原則として歯)からDNAを抽出する。遺族と思われる人からも抽出し、つきあわせて特定するものだ。

前述の沖縄に於ける4人は、いずれもDNA鑑定によるものだ。シベリア抑留で亡くなった人の場合、同鑑定によって1000人以上が身元が分かっている。抑留は第二次世界大戦が終わった後のことであり、埋葬記録など身元特定の資料が比較的残っているからだ。

ただ、現在の技術では荼毘に付した骨、つまり焼いた骨からはDNAを抽出できない。一方で政府は、DNA鑑定の条件として遺品などから遺骨の身元が推定できる②遺骨から鑑定に有効なDNAを抽出できる③遺族がDNA鑑定を希望し、かつ鑑定に有効なDNAを抽出できる、などの3条件がそろわなければ、鑑定の対象としなかった。

しかし前述の沖縄戦のように①のケースはまれだ。また、かりに身元が特定できる遺品と一緒に見つかっても、その遺族を捜し出すのは容易ではない。戦後71年とは、そういう年月である。
 
結果として、せっかく見つかった遺骨の多くがDNA鑑定をされることなく焼かれてしまい、「無縁仏」となっていく。

「集めて終わり」ではない 

こうした状況の中、遺族や遺骨収容団体が望むのは①収容した遺骨のうち、骨の状態などから可能なものはすべてDNAを採取してデータベース化する②希望する遺族のDNAもデータベース化する③両方をつきあわせて遺骨の身元を特定する、ということである。
 
推進法の成立に伴い、政府は沖縄の一部地域に限り、遺品がなくてもDNA鑑定をすることを決めた。小さな一歩が、少しでも前進することを信じたい。

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その小さな一歩さえ踏み出せないでいるのが、中国や北朝鮮だ。それぞれおよそ20万体以上、2万体以上の遺骨が収容されていない。収容どころか、調査さえなされていない。この先、調査と収容が急速に進むことは奇跡に近い。さらに言えば、米軍などに撃沈された軍艦や民間輸送船もろとも沈んだ「海没遺骨」がおよそ30万体に上ることも事実である。海没遺骨の収容は奇跡そのものだろう。

戦争を始めた為政者たちは、最前線には行かなかった。その為政者たちによって最前線に派遣された兵士たちは、土中で微生物に分解され土になり、あるいは海中で小魚たちの食べ物となる。
 
「推進法」の成立によって、遺骨の収容は加速するだろう。しかし「集めて終わり」ではない。遺族が高齢化している。一体でも多く、一日も早く遺骨を収容し、待っている遺族に届けること。

それは、大日本帝国の後継である日本国、そして国民の責任であると、私は思う。