金融・投資・マーケット
金融マン・経営者必読! 銀行が生き残る唯一の方法を教えよう
現実から目を背けるな

これは時代の転換点ではないか?

「本を書いて欲しい」――。

執筆の依頼を受けたのは昨年10月だったかと思う。筆者の畏友でフリーの記者タカシさんと編集担当者のキドコロさんが職場近くに来られた。お互い手の内を探り合うような何とも言えぬ緊張感が漂う中、まだまだ荒削りな問題意識の擦り合わせをしたのを思い出す。

筆者のように長く金融業界を取材していれば、銀行の関係者がどれほど金融庁の考えや方向性に神経を張り巡らしているかは、手に取るように分かる。それほどまでに監督官庁である金融庁は銀行にとって絶大な存在なのだ。

そのため、なぜ多くの銀行の取引が格付けの良い一部の顧客にだけ低金利融資で殺到するというおかしなものに変質してしまったのかを金融史という観点から整理し、折しも不良債権処理時代の象徴である「金融検査マニュアル」を捨て去ろうとしている金融庁の内幕を書けば、少なくとも銀行の関係者は見て見ぬふりはできないはずだという確信はあった。

しかし、そうしたややこしい金融の話とは無縁のはずの出版社が理解してくれるだろうか、興味を示してくれるだろうか――。そんな漠然とした不安が拭い切れないでいた。

おぼろげな記憶だが、カタカタとノートパソコンに筆者の話を打ち込んでいくキドコロさんに筆者は熱弁を振るった。

「検査マニュアルと営業ノルマでがんじがらめに縛り付けられた銀行員は、お客の事業ではなく、その担保や保証しか見なくなってしまったのです。

結果、お客が倒産や廃業で従業員がちりぢりになって、たとえ地元を離れることになっても、自らの銀行の保全のことしか考えない。それが、人口減少が深刻化していく地方の、銀行の実像なんです。

健全な銀行をつくることばかりを目指してきた金融庁もそこを転換する問題意識を持たなかった。これで地域活性化が成ると思いますか?」

編集者というのは実に面白い生き物で、筆者の問題意識をたちどころに理解した上で、「生々しく、息遣いある人間の物語を盛り込んでくださいよ」と筆者に的確なアドバイスをしたのには舌を巻いた。

「田舎の銀行の話なんか売れるのか」という社内の冷たい視線もあったかもしれないが、少なくとも『捨てられる銀行』(講談社現代新書)はこうした縁の下の力持ちの存在があって日の目を見ることができたのは間違いない。しかも、10万部を超えるとは、嬉しい限りだ。

よく聞かれるが、筆者が地域金融の取材を始めたのは2015年2月からだ。それまでは地域金融とはほとんど関わりを持たなかった。それだけに「大手地銀が進んでおり、それ以外は遅れている」といった妙な偏見も一切持たなかった。

むしろメディアや金融庁の会議で取り上げられる地銀が、常に地銀上位行であることに、「本当に地方で起きている革新や変革を捉えられているのか?」と、ある種の胡散臭さすら感じていた。

取材を開始した時点で、安倍政権は地方創生を重要テーマに掲げており、金融庁長官に昇格することが確実視されていた森信親監督局長(当時)がどのような問題意識で取り組んでいくのかが最大の焦点だった。

取材をしてみると不思議な感覚にとらわれた。「これは時代の転換点なのではないか」という思いが湧いてきたのだ。

現実から目を背けてはいけない

2015年7月に森長官が誕生し、ある時点の金融機関の健全性だけを求めてきた「検査マニュアル」を捨て去り、真のリスクを直視するための「新たな検査監督体制」を模索することが明確に打ち出された。

広島銀行から日下智晴氏を一本釣りして地域金融企画室長に抜擢し、30年に亘って地域金融を見続けてきた第一人者の多胡秀人氏を招聘した有識者会議を設けた。

監督業者である銀行に話を聞くのではなく、銀行を飛び越えて、その先の取引事業者に直接、銀行との取引実態を聞きに行くという前代未聞の施策を打ち出したのだ。批判や異論も大いにあったが、金融庁の変わろうとする覚悟と本気度がうかがえた。

「森長官が辞めたら元に戻るんじゃないの?」「金融庁の下の連中がついてこないんじゃないの?」――。

歴史の転換点では、常に出てくるネガティブな意見だ。現状肯定派というか、慣例が変わることを認めたくないという思いから出る声だ。

しかし、立ち止まって思い出してみたい。

1999年の検査マニュアル導入で徹底的な保全ありきの金融に秩序化されたこと、2008年のリーマン・ショックで世界の金融規制が一変し、投資銀行による収益追求モデルが崩壊したこと、2011年の東日本大震災で日本のエネルギー政策が一変したこと。後から振り返ると「あれが歴史の転換点だった」というタイミングが必ずある。

その潮流の中で我々は生きている限り、パラダイムシフトが起こりつつあることを受け止めなければならない。受け止めなくてもいずれ、現実から目を背けられなくなる。それからでは遅いのだ。