週刊現代
本人登場! 篠原vsドゥイエ「世紀の大誤審」を語ろう
あのとき、本当は何が起きたのか
世紀の大誤審/'00年のシドニー五輪、柔道男子100kg超級の決勝で、篠原信一(当時27歳)がフランスのダビド・ドゥイエを相手に内股すかしをかけるも、これを審判に認められず、惜しくも銀メダルに終わった。ビデオ判定やジュリー制度が導入されるきっかけとなった試合でもある〔PHOTO〕gettyimages

五輪の決勝という最高の舞台。そこに立った最強の男・篠原信一をまさかの判定が襲った。瀧本誠(シドニー五輪柔道男子81kg級金メダリスト)、中村計(ノンフィクションライター)とともに本人が振り返る、あのとき、あの会場で起きたすべてのこと——。

因縁の対決

篠原信一 あれから16年が経ちましたが、ドゥイエを投げたときの感触は、今もハッキリとこの手に残っています。

瀧本誠 ところが判定は「一本」とならず、最終的に篠原さんは銀メダルとなってしまった。

中村計 このジャッジが下されたのは、'00年9月22日に行われたシドニー五輪・男子柔道100kg超級の決勝戦。篠原さんの相手はフランスのダビド・ドゥイエでした。

瀧本 当時の100kg超級では篠原さんとドゥイエが抜きん出ていたから、ふたりが決勝で当たるのは順当でした。ただ、ドゥイエは前年にバイク事故を起こして調整が遅れていたんです。客観的に見て、篠原さんのほうが若干有利かなと思っていました。

中村 篠原さんとドゥイエはシドニー五輪の3年前、フランスで開催された世界柔道選手権の決勝でも対戦し、その時は微妙な判定で篠原さんが反則負けになった。ふたりの戦いは、いわば「因縁の対決」だったわけです。

篠原 私自身は、ドゥイエに対して特別な意識はありませんでした。あの日は準決勝でロシアのタメルラン・トメノフとかなり競ったので、体力的に消耗していたけど、とにかく「あとひとつ勝てば金メダル」「誰が相手でも勝つだけ」と考えていたんです。

中村 試合の序盤、ドゥイエは篠原さんに襟を取られないよう、かなり警戒していましたね。

篠原 それなりに研究してきたんでしょうね。当時の外国人選手は、みんな私に両手で掴まれないように気をつけていた。

瀧本 ドゥイエもまともに組んだら通用しないと思っていたんでしょう。序盤はお互いに探り合うような状態が続いた。

中村 そして試合開始から1分半、問題の場面が訪れます。攻めあぐねたドゥイエが自分の右足で篠原さんの左足を狙う、「内股」を仕掛けてきた。

篠原 特別な「ドゥイエ対策」はしていませんでしたが、彼が内股を得意とすることは国際試合を何度も見てよくわかっていた。技をかけられた場合の反応も体に叩き込まれていました。

瀧本 ドゥイエは器用な選手ではありません。かけてくるとすれば払い腰、大内刈り、内股くらい。それ以外の選択肢はほとんどないだろうと、僕も予想していました。

「弱いから負けた」

中村 すかさず篠原さんは、技をかけられた足を外し、「内股すかし」という返し技をかけて、ドゥイエを投げようと試みます。ふたりの体が崩れ、もつれ合いましたが、篠原さんは体がひっくり返らぬよう耐えていました。

あの内股すかしは、10点満点とすると何点の出来ですか。

篠原 満点とは言わないけど、7〜8点くらいの完成度です。投げた直後は一本取った感触がありました。そして、目の前にいた副審を見ると、まっすぐ手を挙げて「一本」のジェスチャーをしている。思わずガッツポーズが出ました。

瀧本 僕は試合場から3mくらいの至近距離で見ていましたが、ドゥイエの体は回転し、背中が畳についたように見えた。篠原さんの一本勝ちだと思いました。

中村 一方でドゥイエは畳に膝をついて、茫然としている様子でした。

篠原 ところが、振り返って主審ともうひとりの副審を見ると、「有効」のジェスチャーをしていた。エッと思いましたよ。「え、なんで? 一本ちゃうん?」と。

中村 コーチボックスの斉藤仁コーチも「一本、一本」と声を出していました。しかし、判定は覆ることなく試合は再開。そしてさらに驚くべきことが起こります。多くの観客が篠原さんの得点と思った「有効」でしたが、これが電光掲示板でドゥイエのポイントと表示されたのです。

篠原 試合再開直後は、私も自分が有効を取ったと思っていました。でも、「待て」がかかった時に斉藤先生から「信一、取られてるぞ!」と声をかけられ、初めてドゥイエに有効がついていることを知ったんです。

瀧本 僕ら日本選手団は、観客席のフェンスを叩きながら、「どうなってるんだ」と叫んでいました。

中村 篠原さんは有効を取られた後、どんな心理で戦ったんですか。

篠原 このままでは負けるから攻めなきゃ、とは思うんですが、一方で「さっきのは自分の一本や。早よ協議してくれ」という思いがずっと頭にこびりついて離れない。準決勝で消耗していたこともあって、パニックに近い状態でした。

瀧本 あの場面で気持ちを切り替えて戦うのはかなり難しいでしょうね。

篠原 その後、ドゥイエに指導、注意が与えられて、いったんはポイントが並んだんです。でも私は余裕がなくて、そのことにすら気づいていませんでした。

中村 並んだことがわかっていたら攻め方も変わりましたか。

篠原 余裕が出たとまでは思いませんが、焦って無理に技をかけにはいかなかったでしょうね。

瀧本 結局、残り時間1分を切った時点で強引に足をかけに行った篠原さんはドゥイエにつぶされ、再び向こうに有効がついた。そして試合終了のブザーが鳴ってしまった。

篠原 終わった瞬間は「ああ、負けた」それしか思い浮かばなかった。「負けた、負けてしまった」と。試合後の握手の際、ドゥイエが何か話しかけてきたけど、こちらはウンウンとうなずくだけ。フランス語で、何言ってるかわからんし。

その後、控え室に戻って休んでいるうちに、「なんで気持ちを切り替えて、もう一回投げようと思わんかったんや」とか「俺はいままで何をしてきたんや」って気持ちが溢れてきて、涙が止まらなくなりました。

瀧本 僕らも控え室に行ったんですが、みんな遠巻きに篠原さんを見守るしかなかった。たまらず篠原さんの大学の後輩である野村忠宏に、「声かけてこいよ」と言ったんです。でも篠原さんと親しい野村でさえ「何も言えない」と言っていた。

篠原 それだけ私はこの試合に懸けていたんです。「五輪は最後。金を獲ってやめる」と決めていました。「金獲らせろよ、神様」と。

夏は海にもプールにも行かず、厚い道着を着ていた。練習後は、ウエイトトレーニングもできないくらい100%、限界までの力を出し切っていた。それと同じことを4年かけてもう一度やるのは無理だと思いました。

中村 表彰式でも、篠原さんはずっとうつむいていましたね。

篠原 正直に言うと、銀メダルを首にかけてもらった時は「銀なんか要らんわ」と思ってました。私にとっては準優勝も一回戦負けも同じようなものです。

瀧本 篠原さんは表彰式が終わった途端にメダルを外していましたもんね。

今でもそうですが、日本の柔道選手の目標は、絶対にチャンピオンになること。銀や銅では決して満足できないんです。

中村 篠原さんは試合後も感情を抑えているように見えましたが、僕は柔道ファンのひとりとして、もっと怒ってほしかった。「あの判定はおかしいだろう」と、率直に言ってほしかった。

篠原 でも、やはり負けは負けなんですよ。柔道は「心技体」が大切と言われますが、私は心が弱かった。それまでの国際大会では、ラスト数十秒で逆転勝ちしたことが何度もあったのに、あの時は気持ちが切り替えられなかった。試合後の記者会見で「弱いから負けた」と言いましたが、その思いは今も変わっていません。

あの日があったからこそ

瀧本 内股すかしが取られなかった時点で、監督やコーチがもう少し強く抗議すべきだったという声もありました。

篠原 確かにありました。でも、もし本当にコーチが畳に上がってきて、試合を止めたらどうなったか。おそらく「柔道の精神に反している」と言われたでしょう。

それに、斉藤先生は誤審であっても「篠原ならもう一回投げてくれる」という気持ちで見守っていてくれたんだと思います。だから試合中は我慢していた。

瀧本 斉藤先生は昨年亡くなりましたが、生前に一度「篠原さんの試合の時は、どんな気持ちだったんですか」と尋ねたことがあるんです。普段は気さくに話してくれる斉藤先生が「そのことは聞かないでくれ」と寂しそうにつぶやくだけでした。

中村 帰国してからの周囲の反応はどうでしたか。

篠原 本人は試合後1週間くらいで立ち直りましたね。帰国後、飲み屋なんかで何度も何度も「残念だったね」と声をかけられたり、テレビで自分の負けシーンを何度も見せられたりするのには閉口しました。

一方で親しい人たちは、変に気を遣わないようにしてくれて救われました。帰国後、自宅に帰ったら、嫁はんから「弱いのにしゃべんな」って言われたり、ちょっと口答えすると、「金(メダル)獲ってから言え」って怒られたりしました(笑)。仲のいい先輩からは、ふざけて「こんなことになるんだったら、棟田(康幸氏・シドニー五輪の選考からは漏れた)を出しとけばよかったのになあ」なんて言われました。

中村 いずれにせよ、あれだけの大舞台で、しこりが残る判定が出たのは残念です。いまVTRを見ると、主審の視線はドゥイエに向いていて、篠原さんの内股すかしが視界に入っていないようにも思えます。

瀧本 シドニー五輪から「青い柔道着」が導入されたのは、もつれあった選手の動きをきちんと見分けるためだったはずなのですが……。

篠原 ああいう判定になった理由は私にもわかりません。ただ、自分の内股すかしは普通のやり方とはちょっと違っているので、それが影響したのかもしれません。

瀧本 確かに篠原さんの技は変わっていました。普通、内股をすかす場合は、相手が自分の股に足を入れる直前にかわして投げる。だけど篠原さんは、あえて足を一度入れさせてから、抜いて投げる。教科書には載ってない技です。

篠原 でもあの技を出したのはシドニーが初めてではありません。国際大会でも何度かあの内股すかしで勝ったことはありました。

瀧本 ひとつ付け加えたいのは、外国の審判は日本の選手に厳しいということ。不公平とは言いませんが、日本の選手は他国の選手に比べて、より明確に技を決めないと認めてくれない。

特にシドニーの時は、大会初日に野村忠宏(男子60kg級)と田村亮子(現・谷亮子、女子48kg級)が優勝したので、選手たちの間では「明日から日本人は勝たせてくれないんじゃないか」なんて話も出ていました。

中村 ただ、皮肉なことですが、誤審があったからこそ、篠原信一という柔道家の存在が人々の記憶に強く焼きついたとも言えます。

篠原 五輪シーズンになると、雑誌やテレビの取材に呼ばれますから、プラスマイナスを考えると銀でよかったのかもしれません(笑)。

でも、「記憶に残る」ということは、覚えている人がいなくなったら忘れられるということ。何十年か経ってしまえば、「篠原は銀」という「記録」しか残らない。勝負ごとは結果がすべてです。

しのはら・しんいち/'73年、青森生まれ。柔道家。シドニー五輪の柔道男子100kg超級をはじめ数々の大会でメダル獲得。現在はバラエティ番組などに多数出演
たきもと・まこと/'74年、茨城生まれ。柔道家。シドニー五輪の柔道男子81kg級で金メダルを獲得し、'04年に総合格闘家に転向。現在は駒澤大学講師を務める
なかむら・けい/'73年、千葉生まれ。スポーツ紙記者を経て、ノンフィクションライター。新著『勝ち過ぎた監督 駒大苫小牧 幻の三連覇』など著書多数

「週刊現代」2016年9月3日号より