週刊現代
自分を不運と思うな! 伊集院静「幸せだけの人生などない」
さぁ、これからだぞ

弟を海難事故、前妻を病で失った時、途方に暮れたことがあった。しかし、今、伊集院氏は言う。「幸せだけの人生などない」。あなたの周りの誰もが辛い時間と遭遇している。それでも、懸命に生きている。

願いは届かなかった

子どもを亡くした親、若くして連れ合いを失った夫や妻。そういう近しい人との別離に直面した人が遭遇する哀しみというのは、周りの人間の想像をはるかに超えている場合がほとんどです。

残された者は、その死を信じたくない、受け入れたくない。それが当たり前の感情です。

多少気持ちが落ち着いてからも「なんであの子だけが」「なぜあの人が」と考えるのは仕方がないことでしょう。

しかし、その思いにいつまでもとらわれ過ぎていると、いつしか「あの子は不運だった」「あの人を亡くした私も不運だわ」という考えに至ってしまいます。

こうなると、心配する周りの人がどれだけ助けの言葉を差し伸べても、「いいの、私は不運だから……」とどんどん哀しみの淵にはまり込んでしまう。まるで出口のない袋小路に迷い込んだようになるのです。

実は、そういう思いにとらわれている人が世の中には多いのです。特に東日本大震災や熊本の震災で、突然近しい人を奪われた人の中に、そう考えてしまっている人が多い。そして何より、かつての私自身がそうでした。

伊集院氏自身、大学生の時に、弟を海難事故で亡くしている。弟はまだ17歳、高校2年生だった。そして、35歳の時には、当時の妻・夏目雅子さんを白血病で失っている。

伊集院氏は「大人の流儀」シリーズの第6弾『不運と思うな。』の中で、二人の死についてこう書いている。

〈死の数年は、弟、妻を不運と思っていた。今は違う。天命とたやすくは言わぬが、短い一生にも四季はあったと信じているし、笑ったり、喜んでいた表情けを思い出す。敢えてそうして来た。それが二人の生への尊厳だと思うからだ〉

弟を亡くしたのは大学2年の時です。探検家を目指していた彼は、台風が近づく海にボートで漕ぎ出して遭難しました。10日後に遺体が見つかるまで、「生きて帰ってきてくれ。弟の命が助かるのなら、俺の体の半分くらいは天にくれてやってもいい」と願ったのですが、ついには叶いませんでした。

前妻は、27歳の若さでこの世を去りました。医師から「明日死んでもおかしくない」と言われ、209日間の入院でしたが、その間、私は仕事を休み、妻の傍らに寄り添いました。

アメリカで先端治療を受ければもしかしたら、と言ってくれる人もいましたが、当時の私にそんな大金は用意できない。

最後のアタックがはじまる前夜、銀座通りでワインを買ったんです。まだワインを飲む人が少なかった時代ですが、パリで二人で飲んだんです。いいものを飲ませてやりたかったのですが仕事も休んでいましたし、もう手持ちの金もありませんでした。中位のワインを買ってタクシーで帰る時、金がないというのは情けないもんだと初めて思いましたね。

弟の捜索中、そして、妻の病室に詰めているときにも生還を願いはしましたが、願いはやはり届かなかった。

私は、特に妻の死に直面した時、激しく動揺しました。

それからの一年は飲むだけ飲んで、博打を打つだけ打った。「なんだ、博打ってつまらないものだな」とは思わなかったけど、それで喪失感を埋められるわけじゃなかった。

あれから30年が過ぎて

弟、前妻以外にも多くの友を半生の中で亡くし、年齢の割にはそれが多過ぎて、私のほうに問題があるのではないかと考えたこともあります。

考え続けた結果、「いつまでも俺が『不運だ、不運だ』と思っていたら、死んでいった人の人生まで否定することになってしまう。短くはあったが、輝いた人生だったと考えないといけない」と思い至ったのです。というより、そうするしか生きる術がなかった。

これは「故人を忘れろ」ということとも違います。近しい人との別れというのは、忘れようとしても忘れられるようなものじゃありません。

私はいまでも、弟や前妻の命日のスケジュールは空けておくようにしています。

別に墓参りをするわけじゃないけれど、ワイワイ騒がしい時間を過ごしたくはないんです。ひとり、心の中で亡くなった人の笑っている顔や楽しい思い出に浸れればいい。その時には哀しいことは思い出さないようにしています。

山口の実家で一人暮らしをしている母は、90歳を超えましたが、いまでも毎日、仏壇の中の弟の写真に語りかけています。成績も優秀だった自慢の息子でした。その弟を亡くした当時、母の憔悴ぶりは大変なものでした。

それが今では、写真に向かって「今年もツバメが渡ってくる季節になりましたよ」と、なんとも穏やかな言葉をかけている。不幸な別れをいつまでも不運と思わない心の持ち様が、母の前向きな生き方の大本にあるのだと思うのです。

今年、私が前妻との最期を書いた『乳房』という作品を脚本にした芝居が上演されました。

関係者から私に「ぜひ見に来てください」という申し出があったんですが、私にだって、ナイーブなところがあります。

確かに前妻の死から30年が経ちました。しかしそんな芝居を簡単に観られるほどの年月ではない。近しい人の死というのは、そんなに簡単なものじゃないんです。

とはいえ、私は再婚しています。再婚するとき、「前の奥さんについての取材を受けないこと」を条件にしていた妻の気持ちを傷つけるようなこともしたくない。

前妻についての取材は、妻の許可をもらってから受けるようになりましたが、だからといって妻が前妻のことをまったく気にしなくなったのかどうかは分かりません。

自宅のテレビを見ていると、急に「夏目雅子特集」なんて始まったりすることがある。そんなときには努めてテレビから離れたり、競輪のビデオにチャンネルを切り替えたりしています。

悲しむのは三回忌まで

読者の中にも、奥さんや旦那さんを亡くした人はいるでしょう。

日本では、人が亡くなって満2年の年に三回忌の法要をする習慣があります。

実は、近親者を亡くした人が一番辛いのがその2年目くらいだそうです。だから、その年に三回忌が設けられている。三回忌の法要の場で、周りの人が「どう、元気になった?」と心配してくれる様子を見て、「そろそろ元気にならないといけないな」という気持ちを持てるようになる。法事というのは、そういう役目を持っています。

だから奥さんや旦那さんを亡くした人は、まずは三回忌を無事に終えることを考えてほしい。それができたら、新しい人生を模索してみることです。もちろん再婚したっていい。故人もそれを咎めはしない。

今回の本を東日本大震災で家族を亡くした方々も読んでくれたようで、読者の一人から、ある日こう言われました。

「自分は家族を失って不運だと思うことが今でもあるけれど、考えてみたら、若くして亡くなってもそれは寿命であって、その短い寿命の中にも必ずまぶしい季節があったはずですよね」

たとえ三つで亡くなった子どもだって、その目で素晴らしい世界を見たはずです。だから「たった三つで死んでしまって可哀想だ。不運だった」という発想ではなくて、「精一杯生きてくれたんだ」という発想をしたい。そうしてあげないと、その子の生きた尊厳もないし、死の尊厳も失われてしまうのです。

「さぁ、これからだぞ」

私が書いた『不運と思うな。』は、なにも身近な人を亡くした人だけの話じゃありません。

実は世の中の九割五分の人は、それほど恵まれた環境の下には生まれていません。家が裕福だったり、すごい才能を持っていたり、誰もが振り向くような男前や美人といった恵まれた星の下に生まれてくるのはほんの一握りの人だけです。

かく言う私にも、「なぜ俺ばかりが……」と考えていた時期がありました。「なぜ俺は在日の家に生まれちゃったんだ」とかね。

恵まれた環境で生まれたわけではない大半の人は、人生の中で少し上手くいかないことがあると、自分の生まれや家柄、才能や学歴などに原因を探そうとしがちです。つまり、世の中の九割五分の人は、人生が思うようにならない「原因」として挙げられるものをいくつも持っているわけです。

しかし、そういう人たちが「俺っていくら頑張ってもダメなんだよな。だって家柄が悪いから」とか「どうせ学歴がないから」と思い始めたら、もうダメです。不運を理由に現状を受け入れてしまっては、人生はいい方向に転がっていきません。

「不運」と思ってしまうと、その人の人生はマイナスからのスタートになってしまいます。そうではなく、ゼロからのスタートだと思えばいい。

ギャンブルが長続きする人間は「この前の負け分を取り返す」という発想はしません。負けてもこういうこともあるという、ゼロの感情をうまく作れるのです。

「オレには財産も才能もない。ルックスだって平凡だ。何もないゼロの状態だ。ゼロからもう一度巻き返すんだ」と考えられれば、人生の景色はずいぶん変わってきます。

これは若い人だけの話じゃないですよ。週刊現代を読むような中高年だって同じです。

例えば、長年働いた会社を定年退職する年になった。ここまで働き抜いたからには、何かいい人生が待っている。そう思っていたのに、いざ退職してみると自分の知らない間に、退職金の半分は息子のマンション購入の頭金に充てることになっている。

残りの半分も「これまであなたを支えてきたんだから」といって女房が趣味に使うことが決まっていた、なんていうことがザラにある。こんな思いをしている人は少なくないでしょう。

しかしそこで「なんだ、俺の人生ってこんなものなのか。運がなかったな」という発想をしてしまうとその後の人生すべてが暗くなってしまいます。

そうではなく、「ここからもうひと頑張りしよう」という発想ができるかどうかが、いい人生を送れるかどうかの分かれ目なのです。新しい仕事を見つけて金を稼ぐのもいいし、金のかからない生きがいや趣味を見つけてのめり込むのもいい。

私はと言えば、世の中のサラリーマンが退職する60歳から仕事量を3倍に増やしました。この年になると、体力気力は衰えますが、視野が広がるし、今まで決めつけていたことにも柔軟に対応できるようになります。

毎朝、「今日、懸命に書けば今まで書けなかったものが書けるかもしれない」「今日は素晴らしいことに出逢うぞ」と自分に言い聞かせて、一日をスタートしています。

「さあ、これからだぞ」と思っている限り、不運など入り込む隙はありません。

「週刊現代」2016年9月3日号より