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アメリカの「打算」〜対トルコ宥和政策が呼び覚ます悪夢の予兆
棍棒なき対話で世界秩序は保てるか
トルコのエルドアン大統領(右)と会談するアメリカのバイデン副大統領。一貫して宥和的な姿勢を保った〔PHOTO〕gettyimages

「粛正」が続くトルコに対して…

アメリカのバイデン副大統領が24日、トルコを訪問した。

7月15日に起きたクーデター未遂事件発生後、エルドアン政権はすさまじい粛正を続けている。こうした状況下、バイデン副大統領がいかなるメッセージを発するのかが注目された。そして、その宥和的、譲歩的な内容に愕然とした。

バイデン副大統領はユルドゥルム・トルコ首相との共同記者会見でこう語った。

“アメリカは同盟国トルコとともにある。我々の(エルドアン政権への)支持は絶対的であり、揺るぎないものである”

* * *

ここで、バイデン副大統領の発言が持つ意味を考える前に、トルコで起きていることをまず押さえておきたい。

クーデター未遂事件は、エルドアン大統領の強権統治、政教分離の国是に反して進められるイスラム化政策を憂慮する一部の軍人により企てられた。反乱軍は首都アンカラの国会議事堂を空爆するなどしたが、蜂起は一夜にして鎮圧され、エルドアン大統領はすかさず“反大統領派”の取り締まりに乗り出した。

空爆された国会議事堂を見学するバイデン副大統領〔PHOTO〕gettyimages

報道によると、非常事態宣言下、軍人を中心にした逮捕・拘束者約4万人、裁判官や教員、官僚らの公職追放者約8万人、閉鎖されたメディア130社、閉鎖された学校や病院など約2300施設に及んでいる。

エルドアン大統領は、在米のイスラム教指導者フェトフッラー・ギュレン師を事件の「黒幕」だとし、その支持者を取り締まっていると主張している。

学校教育に力を入れてきたギュレン師の支持者はトルコ政府にかなり浸透しているようだ。しかし、ギュレン師の支持者をクーデター未遂事件に絡めて粛正することは「魔女狩り」であり、民主主義体制において許容されることではあり得ない。

毎日新聞の14日朝刊に掲載された<トルコ 粛正続く/国民「いつ自分が」>という記事はトルコ国内のムードの一端は以下のように伝えている。

「『自分が政府のどんなリストに載っているのか分からなくて怖い』。現在外国に暮らし、事件当時帰省中だった30代のトルコ人女性は、出国時に空港で拘束されるかもしれないと着替えや下着をたくさん持参したという。実際に、ギュレン師支持者だと疑われて旅券を取り上げられ拘束される市民が出ているからだ」

トルコで進んでいることは、反政権の芽を一掃する“恐怖政治”のように見える。エルドアン大統領は事件を「神からの贈り物」と呼んだそうだが、このタイミングで死刑制度の復活論が出ていることは実に不気味である。

ホワイトハウスの「打算」

バイデン副大統領のトルコへの「揺るぎない支持」はこうした状況下で表明されたものだ。

副大統領のトルコ滞在中(12時間)の言動は一貫して低姿勢、宥和的だった。

トルコ国内には、今回のクーデター未遂事件はアメリカにおける同時多発テロ(2001年)に匹敵するものだとの思いがあるという。にもかかわらず欧米諸国のトルコへの連帯の意思表明は緩すぎる、そんな不満を募らせるエルドアン大統領に対し、バイデン副大統領は「もっと早くトルコを訪問したかった」と釈明してさえいる。

同盟国で非難されるべき事態が起こったとき、外交では、「dual message(二重のメッセージ)」を発するのが一般的だ。同盟の基本的な価値などを持ち上げる一方で、批判すべき点には言及するというやり方である。しかし、バイデン副大統領は公的な場で粛正、人権弾圧について言及を控えたという。

この事実は何を意味するのか。米紙ウォール・ストリート・ジャーナル(電子版)は次のように分析している。

“バイデン氏の姿勢はホワイトハウスの打算を示している。重要な戦略的同盟国であり、北大西洋条約機構(NATO)のメンバーであるトルコと緊密な関係を維持することは、エルドアン政権の民主主義からの逸脱に対して厳しい姿勢を取ることより、米国の国益にとってより重要だということである”

トルコはギュレン師の引き渡しを強くアメリカに求めている。オバマ政権は現時点では「クーデター未遂事件とギュレン師を結び付ける証拠が必要だ」と拒否している。

これに対し、エルドアン大統領は「アメリカはトルコとギュレンのどちらかを選ばなければならない」と強気一辺倒だ。まるで“踏み絵”を迫っているかのようである。

トルコの地政学的重要性

それではなぜ、トルコはアメリカに対してここまで強い態度に出ることができるのか。

その最大の理由は、トルコが世界のバランス・オブ・パワー(力の均衡)の行方でキャスティング・ボートを握っていることを理解しているからである。

また、トルコ国内には、アメリカがクーデター企図の背後にいるという陰謀説が流布し、反米感情が盛り上がっていることも強硬姿勢を支えているようだ。

トルコは、アメリカのシリア内戦と過激組織「イスラム国(IS)」対策で必要不可欠な国である。どちらの問題も中東の秩序、世界経済、国際社会の安全保障環境の将来に死活的な重要性を持つ。

だから、アメリカ中心の国際秩序に強い不満を持つロシアやイランなどの「リビジョニスト(現状打破)国家」が介入し、アメリカに敵対する形でシリアのアサド政権を支え、主導権を取ろうとしているのである。

一方で、アメリカはトルコ南部インジルリクの空軍基地に核兵器を配備し、中東の安全保障の重石となってきた。現在はIS攻撃、シリアの反アサド勢力支援の出撃拠点としてさらに重要性を増している。

トルコのインジルリク基地に掲げられた巨大な合衆国旗〔PHOTO〕gettyimages

トルコの選択が世界を左右する

トルコとアメリカの間には、「国家を持たない最大の民族」とされ、トルコやシリア、イランの国境地帯に住むクルド人をめぐる軋轢もある。

アメリカはIS掃討のためにシリア国内の反政府クルド人武装勢力を支援し、この勢力は実効支配地域を拡大している。一方で、トルコ国内には独立を目指すクルド人勢力があり、トルコにとっては国境を越えたクルド人勢力の連携は脅威である。エルドアン政権には、アメリカのクルド人勢力支援は極めて苦々しい事態と映る。

こうした状況下、エルドアン大統領は最近、ロシアとイランに急接近してシリア問題解決への枠組み作りを試みるなど、アメリカへの揺さぶりを強めている。

トルコがアメリカ陣営に留まるのか、リビジョニスト国家へ傾くのかで世界の在り方は大きく変わるだろう。

アメリカがエルドアン政権に示す宥和的な姿勢。世界の民主化に向けた「灯台」を自負してきたアメリカだが、その姿勢に垣間見えるのは、中露などの攻勢で大きく転換しつつある国際秩序を前に、理想を掲げる余裕をなくした唯一の超大国の姿である。

棍棒と対話のあいだで

それにしても、トルコの弾圧が国際社会衆知の中で平然と進んでいることは驚くべきことである。

トルコはNATO加盟国というだけでなく、欧州連合(EU)の加盟候補国でもある。そのトルコで進む粛正(おそらく21世紀に入って最大規模)に事実上沈黙する国際社会の在り方は、まさに宥和政策と呼ぶべきものだろう。

シリアからの難民対策やテロ対策でトルコの協力が必要なEUもトルコを強く非難できないのが実情だ。EUとトルコは今年3月、ギリシャへのシリア人密航者らをトルコへ送還することなどで合意した。

トルコ国民のEUへの渡航ビザ免除を見返りにした合意だったが、難民送還という措置に対しては、国連機関や人権団体から「難民保護の原則に反する」「国際法違反」などの批判が噴出した。EUも背に腹は替えられない状況に追い込まれているのである。

安倍晋三首相とエルドアン大統領が盟友関係にある日本も同じだ。トルコは日本の自動車メーカーなど製造業にとって欧州、中東、ロシアへの重要な輸出拠点であるほか、原発などインフラ輸出への期待感が強い国だからだ。

対外宥和政策で教科書的な教訓とされているのは、イギリスのチェンバレン首相によるヒトラーへの宥和政策だろう。

1938年のミュンヘン会談での領土的譲歩がナチス・ドイツの増長を生んで第2次世界大戦開戦の要因の一つとなり、チャーチルをして対独宥和策がなければ「ホロコーストもなかっただろう」と言わしめたことは有名である。

トルコへの宥和政策はエルドアン政権をより大胆にするだろう。そのことが世界に何をもたらすのか。行方を注視しなければならない。

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世界を見渡すと、宥和政策まがいの国際社会の姿勢が対象国をより大胆にし、ますます事態を悪化させているケースが目立つ。

南シナ海の管轄権をめぐる国際仲裁裁判所の裁定を無視して挑発的行動を強める中国、化学兵器の使用や病院への空爆を繰り返しながら失地を回復するシリアのアサド政権、ウクライナのクリミア半島併合後さらに軍事的冒険主義の姿勢を強めるロシア……。

近年、「ニュー・ノーマル」(新しい常態)という言葉をよく耳にするが、強権体制への宥和政策は国際政治のニュー・ノーマルになった感がする。

その原因をアメリカにだけ求めるのはフェアではない。しかし、アメリカが今も唯一の超大国であり世界の在り方に大きな影響力を持っていることは事実だ。

「大きな棍棒を携え、穏やかに話せば、成功するだろう」と外交の要諦を語ったのはセオドア・ルーズベルト大統領だった。

振り返れば、対話を尊重せず、イラク戦争などで棍棒を振り回したのがブッシュ前政権だった。後継者のオバマ大統領は逆に、棍棒を手にしたがらない大統領である。そして、世界は混迷の度を深めている。

「棍棒」と「対話」のバランスをいかに図るか。アメリカと世界は極めて難しい状況に置かれている。

笠原敏彦 (かさはら・としひこ)
1959年福井市生まれ。東京外国語大学卒業。1985年毎日新聞社入社。京都支局、大阪本社特別報道部などを経て外信部へ。ロンドン特派員 (1997~2002年)として欧州情勢のほか、アフガニスタン戦争やユーゴ紛争などを長期取材。ワシントン特派員(2005~2008年)としてホワイ トハウス、国務省を担当し、ブッシュ大統領(当時)外遊に同行して20ヵ国を訪問。2009~2012年欧州総局長。滞英8年。現在、編集委員・紙面審査委員。著書に『ふしぎなイギリス』がある。