「まず、根性論を捨てる」日本柔道復活を成し遂げた、井上康生流「大改革」そのすべて

惨敗のロンドンから、躍進のリオへ

【PHOTO】gettyimages

「大奮闘」と言ってもいい記録をリオ五輪で残した日本選手団。その躍進を支えたのは、柔道だった。4年前は金メダルゼロに終わった日本柔道がなぜ復活を遂げたのか。「井上改革」その全容について、過去五度オリンピックを現地で取材している、ノンフィクションライターの柳川悠二氏が解説する。

ブラジル・リオデジャネイロの地で、日本選手団は、史上最多だった2004年アテネ五輪の38個を抜く41個(金12、銀8、銅21)のメダルを獲得した。4年後の地元開催に向け、日本のスポーツ界全体が活気づく結果だろう。中でもかつて〝お家芸〟だった男子柔道が復活を果たしたことが、この快進撃を支えた。

12年ロンドン五輪で、男子柔道は史上初めて金メダルがゼロに終わり、母国としての威信は失われた。立て直しを敢行したのはロンドン惨敗の責任を取る形で辞任した篠原信一氏(現タレント)に代わって監督に就任した、井上康生である。

筆者は4年前、前監督である篠原信一氏や、当時、強化委員長を務めていた吉村和郎氏の横暴を度々指摘した。強化合宿をすればやたらと量をこなさせる前時代的な指導は、問題をはらんでいた。

気合いだ根性だ、とやたら精神論をぶち、午前中は走り込みや寝業、午後は乱取りと単純で画一的な練習を選手に課していた。以前のように階級別に担当コーチが決まっていたわけではないために、選手は誰を頼ればいいのか混乱していた。

首脳陣はケガを抱えた選手にも合宿への参加を強制し、国内大会への出場を義務づけ、選手が拒否すれば「代表選手から外す」というような脅しめいた言葉を投げかけた。13年2月に、女子の複数選手によってパワハラ告発がなされたが、そういう体質は男子にも根強くあった。

当時、特別コーチとして帯同していた井上は選手や所属先の声に耳を傾け、首脳陣に対し「担当コーチ制の復活」などを訴えたが、採用されず。首脳陣と選手の板挟みに遭っていた。

いわば惨敗すべくして金メダルゼロに終わったのがロンドンだった。帰国後、篠原氏は引責辞任し、吉村氏はしばらく強化委員長に居座ったが、助成金の流用疑惑によって失脚。不祥事を期に体制がまるっと一新されたことは、新たに監督に就任した井上にはむしろ幸いしたかもしれない。井上は次々と改革を断行していく。