企業・経営
トヨタが知っている「利益の生み方」一番お金をかけているのはここ
MBAもビジネススクールも時代遅れ

前回、戦後日本を経済的に豊かにした「Made in Japan」の正体について説明した(こちら http://gendai.ismedia.jp/articles/-/49535)。今回は、次々に凋落する日本の名門企業の中で、トヨタが世界で勝ち続けてきた「秘密」を明かす。その答えは、トヨタが惜しみなく投資する部門にあったーー。

トヨタとAppleの共通点

トヨタ生産方式と日本的品質管理と生産技術開発の組合せが戦後のMade in Japan である。しかしこのモデルは今では世界中で学ばれ、世界の常識・コモディティとなった。それでも一昔前の成功モデルにしがみついたままでいれば、企業は世界で稼ぐことができず、シャープや三菱のように凋落していくことになる。

Made in Japan の正体とは、設計情報が製品に変換される量産・コピープロセスを、人と機械を組み合わせることで、「最低費用・最低資金」で行う「プロセス」を作ることだったのである。

そして、いまその手法は世界の常識となり広く知られている。再現・模倣は全く難しくない。この分野の専門家もすでに日本人に限らず多い。つまり、日本企業はそこだけでは勝負にならないどころか、高い工場労働者の人件費のおかげで日本勢にとって競争環境は不利な時代となった。

いまの産業界は、設計情報の創造、つまり製品開発で勝負をする時代になっている。

当たり前の話だが、製品そのものの価値を日本人が生み出さなければ、労働者として高い賃金の割に合わない。

新製品(=新しい価値)とそのための実現手段としての新技術で、新市場を作っていかないといけない。もちろん、市場は、最初から世界中が相手である。日本国内は人口も減少しているし、最初から小さすぎる。たった1億人程の市場しか日本国内にはないのである。

世界各国にいる買い手の要求を満たす「魅力的な商品」、「これはどうしても買ってしまう」というような商品を開発する。同時に「消費者が実際に買う、あるいは買える価格でありながら、会社としては十分利益の出る原価構造をもった製品」を開発できていなければならない。後は分かっている方法で量産するだけである。量産の管理手法も技術も確立されている。

例えば、アップル社は分かりやすい例だろう。最近アップル社のiPhone の販売の伸びが鈍化している。これはもちろん量産工程を担当している製造請負メーカーFoxconnの仕事ぶりが悪いからではない。

iPhone を企画・設計しているアップルが我々買い手にとっては、わざわざ買い換えるまでもないような新モデルしか現状出すことができていないからだ。

Foxconnの設備投資金額や量産工場の中国人労働者の生産性、また工場で作る製造品質が、iPhoneが売れるか売れないか、(=つまり我々が商品を選ぶかどうか)を決めているわけではない。つまり、今日のものつくり産業では、経済的な付加価値を生み出せるか生み出せないかはFoxconnが担当している製造工程が提供する価値では決まっていない。

今のものつくりは、「売れるモノを売れるとき売れる数だけ売れる順番に作る」ので、アップルが肝心の「売れるモノ」を開発してくれなければ、量産請負のFoxconnにも、アップルに部品を納めている日本の部品メーカーにも仕事はなくなるのは当たり前である。

トヨタ自動車ではトヨタ流製品開発で売れるモノを開発し、トヨタ生産方式で売れるとき売れる数だけ売れる順番に作っている。トヨタ流製品開発とはすでに述べた「チーフ・エンジニア制度にもとづくトヨタ流の製品開発」のことである。詳しくは拙著の『トヨタの強さの秘密』を参考にして欲しい。チーフ・エンジニアとは製品の社長のことだ。(トヨタでは現在のチーフ・エンジニア制度のことを過去、主査制度と呼んでいたこともある。)

工場側のトヨタ生産方式に対して、トヨタのチーフ・エンジニア制度にもとづく製品開発をトヨタ流製品開発という。魅力的な製品、買い手の要求を満たす製品を生み出すためにうまくセグメンテーションされた、研究・開発体制が組まれている。

トヨタは昨年、研究開発に1兆円使っている。一方、工場への投資、主に設備投資は1兆1000億円である。

それぞれの役割において、製品開発と製造、それぞれの人口比は製造側が90%以上でもちろん圧倒的に大きい。従業員一人あたりの投資額を考えれば、現在トヨタは何で儲けている会社かが分かる。つまり、量産工程のノウハウは当たり前とした上で、トヨタは「売れるモノ」の製品開発に莫大な投資をし、彼らは儲けているのである。

東芝の仕事は「TOSHBA」のロゴをつけるだけ?

〔PHOTO〕gettyimages

時代はすっかり様変わりしているのに、組織の中では先輩がやっていたことをただ繰り返して、一昔前の世界に最適化されたやり方を続けていれば、当然企業は破綻することになる。

三菱自動車の開発センターと工場が、愛知県岡崎市にあるのはなぜだろうか? 岡崎市は豊田市の隣である。私は岡崎市の出身である。私が子供の頃、野球を教えてくれた近所のおじさんがいた。彼は名古屋にある地元の国立大学を卒業した後、三菱自動車に勤めていた。彼がよくこう言っていた。

「うちの会社はなかなかうまくやっている。要領がいいんだぜ。トヨタさんが大金を使って苦労しては新製品や新技術を出すだろう? うちは発売日に即買ってきて、すぐ分解してどういう設計法、製造法になっているのか、とにかく調べるんだ。それでちょっと見栄えを良くしたり、コンセプトを変えたりする。

中で使われている部品なんかは、例えばデンソーやアイシンみたいなトヨタさんの系列会社が作っているわけだけど、それぞれどこの会社が作っているか全部調べて、リストアップするんだよ。

それで法律に引っかからない程度に変更して、彼らに発注するわけさ。それを三菱ブランドでお客さんに売るんだよ。こういうことをするには近所にいないとなあ。うちの会社はアタマがいいだろう? 」

これは、後進国型リバース・エンジニアリング・モデル(編集部注:模倣的製造)である。しかし今ではこんなことは三菱自動車より、低コストで同じことのできるメーカーが後進国にはいくらでもある。三菱に売れるクルマがなくなってしまった理由が分かるだろう。

売れるクルマがなければ会社にはカネがない。カネがなければさらに技術開発投資ができない。それでも、結果が出せていることにしなければ、会社としての面子もある。燃費の偽装は、結局、技術開発力がない、実力がないために、偽装せざるを得なかったことが本当のところの原因である。

はっきり言ってしまえば、三菱自動車では、リバース・エンジニアリングをすることが設計や製品開発とされていたのである。それで今さら勝てるわけがない。

東芝の不正会計事件も、わざわざ不正会計をしなければならないほどに、東芝の製品が売れないからである。

パソコンやスマートフォンの事業では、設計情報はインテルやクアルコムの作る参照設計情報(リファレンスデザイン)を元にしてきた。参照設計情報とは、インテルやクアルコムの製品を搭載すれば一通りの機能・性能をもった製品ができてしまうような、システム設計情報のことだ。

インテルやクアルコムが商品として提供するのは半導体のチップのみか、あるいはライセンス情報のみだが、こうしたシステム設計情報である参照設計情報も一緒に提供している。そこからカスタマイズが許された範囲で些末な部分変更を東芝が行い、量産は台湾メーカーなどに委託している。

結局、東芝は、TOSHIBAロゴをつけるくらいで、参照設計情報から大差ないレベルの凡庸な製品を、ライバルより高い値段で販売していることになる。自分達で付加価値を生んでいるわけではなく、誰でもできる簡単なプロセスを高コストで担当しているに過ぎない。

儲からないのは当たり前である。設計も、製造も実質自社では行わず、カスタマイズと箱詰めと販売である。価値も機能も同じなのに、東芝のパソコンを高い値段で買う理由はなんだろうか?

儲からなければ致し方ない。一昔前のように儲かっているふり、うまくいっているふりをしなければならない。そこで「チャレンジ」の名の下に不正会計促進活動が展開されていたそうである。チャレンジとは、東芝では不正を推奨するための隠語だったそうだ。

いま大事なのは「設計品質」

アベノミクスも例外なく、経済指標として「設備投資額」を気にしている。しかし今では、「設備投資」の金額は「売れるモノ」つまり製品の「設計情報」の出来に左右される。少し難しく言えば、設備投資は設計情報の従属関数だということである。

どういうことか考えてみて欲しい。いまは「売れるものを売れるとき売れる数だけ売れる順番に」つくる。これは日本に限った話ではない。「売れるモノ」(製品開発)があった上で、それが売れるとき、売れる数だけ、売れる順番に複製・コピーつまり量産する(生産)。これが今の製造業の基本である。

売れるモノに相当する「製品設計情報」が、売れるとき売れる数だけ売れる順番、つまり売掛金・現金に換えられる順番で実態のある製品に工場で変換されなければならない。

こうした当たり前の事柄を知らない経営者がいれば、最近では、即解雇・更迭である。辞めてもらわないと皆が迷惑する。

売れるモノがなければ、量産工場に投資をしてはならない。つまり設備投資額は「売れるモノ」があるか否かに依存する。フォード方式から大野式(トヨタ生産方式)を経て、量産技術が確立された現在の経済ではモノがあふれている。まだまだ、ものが欠乏していた田中角栄の時代と社会の状況が違う。

いまでは、当時のように設備投資が増えれば、自動的に販売が増え、企業の生み出す付加価値が増えるわけではもちろんない。いまのものつくりのボトルネックは半世紀前と違い、量産工程における設備投資金額ではない。付加価値が生み出せるか否かの因果関係が変わっているということである。

シャープ崩壊』(日本経済新聞社)によると、シャープは、片山社長派の推進する液晶パネル事業と、社内で別派閥を作っていたライバルが推進する太陽電池事業で、設備投資額を競っていたそうである。「売れるモノ」の商品性はともかく、設備投資の金額の大きさを競っていたということである。

もちろん、製品が売れないので、工場の稼働率は上がらない。しかし巨額の設備投資をした工場は稼働していなければならない。無理に稼働率を上げて、歩留まりの悪い不良品を含めて在庫の山を築いていたはずである。

どこに隠してあったのかは分からないが、もちろん会計上は「資産」として計上してある。Foxconnに買収されたときに発覚した偶発債務の正体はなんだろうか? はっきりしたことは分からないが、およそ見当はつく。永遠にカネに変えられない大量のガラクタを資産として計上していたということではないか。

トヨタが1兆円投資しているもの

Made in Japan モデルを引きずっている組織、量産工場が付加価値を生んでいると勘違いしている会社では、製造品質しか検討されていない。品質には大きく分けると、

①設計品質
②製造品質

がある。書店で売られている品質管理や生産管理の本には、②の製造品質しか書かれていない。逆に言えば、それは誰にでも手に入る情報であり、常識、コモディティである。体系化も大昔に終わっている。

実際の企業競争では、だいぶ以前から①の設計品質で勝負する時代となっていて、製品の価値も利益も、研究開発・技術開発の成果もほとんどすべて目的は、最終的にこの①設計品質のためである。

トヨタなら、年間1兆円投資される研究開発費は、主に、最終的には設計情報の質、つまり魅力的な商品を開発する目的で使われている。製品がヒットすれば、設備投資を行う。これが正当な順番である。何を当たり前のことを、と思う現代の経営者やビジネスマンは多いと思う。

しかし、こうした当たり前の事柄を、今の経済学、経営学、会計学はまともに扱えるレベルに未だになっていない。アダム・スミスや、カール・マルクスなどが生きていた18世紀や19世紀の社会のモデルを基礎として、21世紀の情報化・知識化した経済活動・付加価値創活動を理解しようとしているのでおかしなことになっているのだ。

そもそも、貴重な経営資源である「情報」という概念がまともに形式知化されたのは、20世紀に入ってからのことである。そのため今の経済学の大枠は、知識や情報という今日もっとも貴重な資源をすべての中心におくような、現実に近い形で扱うためのフレームワークを最初から備えていないというおかしな状態が未だに放置されている。

20年前私が大学生の頃、経済学部の先生が「実際の経済とは違うのだけど、経済学ではこういうことになっているからよろしくね」などという説明をしていたが、20年経っても何も変わっていないそうである。