ニッポンにはいま、格闘技が足りない!作家・増田俊也と格闘家・中井祐樹が出した「結論」
神楽坂「la kagu」で行われた、最強を求める二人のトークライブ(写真提供/新潮社)

伝説のトーナメントを振り返る

『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』で大宅壮一ノンフィクション賞、新潮ドキュメント賞を受賞した作家・増田俊也氏と、柔道とブラジリアン柔術を極め、現在は「パラエストラ東京」の代表として柔術の普及に力を注ぐ伝説の格闘家・中井祐樹氏。北海道大学柔道部の先輩・後輩である二人が、このたび、『本当の強さとは何か』(新潮社)という対談書を出版した。

本書には、心の弱さや、体の弱さに悩む人の助けとなるような、強くなるための思想や思考法がふんだんに詰め込まれている。格闘技ファンはもちろんのこと、すべてのスポーツマンやビジネスマン、あるいは主婦まで、誰もが参考にすべき、そして心を震わされる言葉が満載だ。

この対談書の発売を記念して、去る7月28日、神楽坂の「la kagu」にて、増田氏と中井氏のトークイベント「本当の強さとは何か?」が開催された。平日にもかかわらず満員盛況となったこのイベントの一部をここに特別公開!

増田 中井祐樹は、現代の格闘技界においてレジェンドになりうる存在だ、と僕は思っている。「柔道の鬼」の木村政彦、極真空手創始者の大山倍達に並ぶと言ってもいいかな。

中井 いやいやいや、よくないですって!(笑)

増田 でも海外に行くと、格闘技関係者で「ユーキ・ナカイ」の名前を知らない人がいないんだから。

その中井のすごさや強さを一人でも多くの人に知ってもらいたくて、今回はこの対談本を作ったわけだけれど、やはり中井の伝説を語るうえで、VTJ95(バーリトゥード・ジャパン・オープン95)は外せないよね。

中井
 自分の口から「伝説」とは言えませんが、広く知られるようになったきっかけは間違いなくVTJ95ですね。

増田 総合格闘技の黎明期といえる1995年4月20日、日本武道館で行われた「VTJ 95」。世界中から格闘家が集結する中、中井は過酷なワンディトーナメントにエントリーされたわけだけど、あれは壮絶だったよね。1回戦で「喧嘩屋」の異名をとるオランダの空手家、ジェラルド・ゴルドーとぶつけられて、いきなり右目負傷でしょう(※筆者註・その後失明していたことが判明)。それなのに、あれよあれよと勝ち進んでさ。決勝ではあのヒクソン・グレイシーと闘うって……凄い経験だったと思う。

中井 北大の先輩である増田さんに、そこまで言っていただけると本当に嬉しいですね

増田 中井は謙虚だから自分ではそう言わない。だから、僕が言わなきゃ仕方がないんだよ(笑)。さて、VTJ95について振り返ってほしいんだけれど、その大会の「源流」ともいうべき、第1回のUFCが1993年にアメリカ・コロラド州で開かれた。ヒクソンの弟、ホイス・グレイシーが優勝して、「僕の兄は僕の10倍強い」という有名な言葉を残して、グレイシー柔術の強さを見せつけた大会だった。

当時は「アルティメット大会」と呼ばれていたけれど、あれから早いもので23年が経った。この当時、中井はすでにプロ修斗の選手だったでしょう。現役格闘家の眼から、あの大会はどう映っていたの?

中井 僕がプロ格闘家になったのは1993年でしたが、当時はグレイシー柔術なんて誰も知らない時代でした。UFCも、今でこそ世界で最も人気のある格闘技イベントとなっていますが、最初は雑誌の記事を読むくらいで、「へえ、こんなのやったんだ」というぐらいでしたね。第一回大会をビデオで観たのは、随分後になってからでした。

増田 じゃあ、そんなに関心あったわけではなかったと。

中井 日本でも活躍していたアメリカ出身の格闘家、ケン・シャムロックがホイスに準決勝で負けたと知って「ああ、シャムロックが負けたのか」とか思ったくらいですね。ただ、僕の師である佐山(聡)先生から「中井はいつか、グレイシーとやることになるかもしれないよ」とは言われていたので、どういうものかなという興味はありましたが。

増田 最初のVTJが行われたのが94年でしょう。そこでヒクソン・グレイシーという選手が日本に来た。そして、いともあっさり勝ち進んで行った。俺はそのときの様子が本当に不思議でね。戦って呆気なく敗れた選手が「いやいや、次やれば俺が勝つ」とか口々に言うんだけど、結果誰一人として勝てない。「これは一体何なんだ」と。

中井 ヒクソンの戦い方は、「相手の力を出させずに勝つ」、そんな感じでしたよね。僕も正直、あの試合を見ていても、グレイシーの凄さというものがなんなのかわかりませんでした。