週刊現代
会社をサボってエロ三昧…ダメ男・石川啄木「ヒミツの日記」がおもしろい
清貧・不遇のイメージも崩れ去る
1904年(明治37年)婚約時代の啄木と妻の節子

赤裸々すきる『啄木・ローマ字日記』

〈 はたらけど はたらけど猶わが生活楽にならざり ぢつと手を見る 〉

有名な歌の印象からだろうか、明治期の歌人・石川啄木には、「才能に溢れながら、清貧の中で死んだ不遇の人」というイメージがある。だが、実際の啄木は、妻子を養うこともせず、周囲から借金をしては遊郭にせっせと通う、まさにダメ男だった。

1909年、23歳で職を得た啄木は、家族を函館に残して上京。そこから2ヵ月あまり、ローマ字で日記をつけており、『啄木・ローマ字日記』として刊行されている。

この日記から垣間見える啄木の趣味が、江戸時代の官能小説、いわゆる〈艷本〉の筆写だ。

「『(花の)朧夜』の方をローマ字で帳面に写して、3時間ばかり費やした」(4月14日の記述)

『花の朧夜』は、複数の男女のセックスの描写がひたすら続き、最後は一堂に会して乱交するという、過激な内容。啄木はこの本が相当気に入ったようで、別の日にも、「其の(筆写する)はげしき楽しみを求むる心を制しかねた!」(4月16日)と興奮気味に綴る。ちなみに、この翌朝はのんびりと10時頃に起床、会社をサボっている。

啄木の溢れんばかりの性欲は、とどまるところを知らず、こんな記述も。

「予はますますイライラしてきた。そして(中略)ついに手は手首まで入った。“ウーウ”といって女はそのとき目をさました」(4月10日)

遊郭の普通の遊びでは満足できなくなり、いわゆる「フィストファック」を試みているのだ。

啄木は、ローマ字で日記を書いていた理由を、「予は妻を愛してる。愛してるからこそこの日記を読ませたくないのだ」と記している。だが、妻・節子は外国人に英語を習い、函館で小学校の代用教員をしていた教養ある女性で、ローマ字は読めたはず。

「オレが死んだら日記は必ず焼いてくれ」

啄木がこう伝えていたという日記を公刊できる状態で残したのは、夫の奔放さに生涯悩まされた節子の、ささやかな仕返しだったのか。(岡)

『週刊現代』2016年9月3日号より