週刊現代
アインシュタイン、プラトン…天才科学者たちはいったい、何を考えて生きていたの?
熊谷達也の読書日記

被曝した原子ムラのドン

例年よりも長かった梅雨が明け、8月に入ったばかりの東北各地は夏祭り一色になった。

祭りがもたらすハレの気分は、確かに悪くない。東日本大震災から5年が経過し、少しずつ復興の形が目に見えるようになってきたことも大きいし、リオデジャネイロオリンピックが重なったこともあるだろう。

しかしその一方で、広島と長崎では原爆の日を迎え、その後、帰省ラッシュを伴いながら終戦記念日を過ごし、送り火とともに、束の間帰って来ていた先祖の霊との別れを惜しむ。こうしてあらためて見てみると、私たち日本人の夏は実に盛り沢山だ。単に盛り沢山なだけでなく、死者(祖霊)と語らい、共に生きる半月間とも言えよう。

71年前の夏、広島に落とされた原爆で父母をはじめ家族5人を亡くし、自らも被爆して死線を彷徨いつつも、奇跡的に生き延びた1人の青年がいた。日本人初のノーベル賞受賞者、湯川秀樹の最後の弟子と言われる森一久である。

湯川博士、原爆投下を知っていたのですか』という少々ショッキングなタイトルの本書は、故森一久(2010年2月3日没)の半生を追ったドキュメンタリーであると同時に、戦後の日本の原子力研究開発がどのようにして進められて来たかを知る恰好のテキストともなっている。

というのも、湯川博士の下で理論物理学を学んだ森一久は、大学卒業後、ジャーナリストを経て日本原子力産業会議に長年在籍し、日本の原子力開発に深くかかわって来た人物(最後には、いわゆる「原子力村」を自ら飛び出しているのだが)だからである。

そう聞いて、「自分も被爆して家族を失った人間がなぜ原子力を?」という疑問を抱くのは私だけではないだろう。本書はその疑問を解き明かしながら、そもそもいかなる背景で日本の原子力研究開発がスタートしたのか、そしてどのような問題を根本的に抱えているのか、表面的なニュース報道だけでは知り得ない事実を、私たち読者に明かしている。