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参院選で露呈した「若者に無責任な政治」のリアル

問われるべきは「大人」たちの態度だ
後藤 和智 プロフィール

また、政治的主張をする若い世代は、何もSEALDsに限ったものではありません。

『SAPIO』2016年9月号においては、SEALDsの主張に敵対もしくは対立する団体として、AO入試予備校代表の斎木陽平による「高校生未来会議」と、東大生の小村聡士が主宰で、反共(勝共)主義に基づく団体「UNITE」が採り上げられています2

また、若い世代による社会活動団体を立ち上げた富樫泰良(『ボクらのキボウ 政治のリアル』ディスカヴァー・トゥエンティワン、2016年)や、中学生のときにマーケティング会社を立ち上げ経営者となった椎木里佳(『大人たちには任せておけない!政治のこと――18歳社長が斬る、政治の疑問』マガジンハウス、2016年)も、政治に関する著作を出すようになっています。

若い世代において、急速に「政治の季節」がやってきたような印象を受けます。

特にSEALDsに関しては、その活動や解散に関して様々な人が意見、助言と称するものを投げかけています。しかし私は、そのような状況にこそ危うさを感じるのです。

最初に述べておきますが、SEALDs自体には私はなんの新しさも感じていません。『「ニート」って言うな!』を出して以降、いくつか若い左派の運動が勃興して消滅しましたが、その過程とあまり変わらないからです。

むしろ私が感じるのは、SELADs、そして参院選における若者の投票行動に仮託して、若者を「語りたがる」人が多いという状況の危うさです。このことは、我が国の、若い世代をめぐる政治状況における、大人たちの「無責任さ」を見事に表しています。以下それについて述べていきたいと思います。

「若者と政治」の失敗史

「若者の政治的無関心」が嘆かれていたのは、何も最近のことではありません。

私が2013年に『統計学で解き明かす成人の日社説の変遷――平成日本若者論史5』(後藤和智事務所OffLine、2013年)という同人誌を書いたとき、1994年から2013年までの20年分の「成人の日」の社説を分析したのですが、1994年の段階ですでに若い世代の政治的無関心は嘆かれていました。

〈 若者像を知る手がかりとなる「世界青年意識調査」をみると、気になる点もある。日本の青年は政治や社会への関心度の項目でいずれも低い数字を示している。

国情の違いがあり、むしろ日本社会の安定をあらわしているという見方もあるかもしれないが、関心がいかにも内に向き過ぎている。個を確立することは望ましいが、新時代を切り開いていかなければならない世代としてはもっと心の窓を外に向けて欲しいと願う。(1994年1月15日付読売新聞)〉

「怒れる若者」の時代は、とっくに去り、いまは自分の殼に閉じこもって身近な幸せを求める若者たち。透明なカプセルに入って安住しようとしているようだ。

その「カプセル化」は人間関係にも見られる。友人と面白おかしいことはしゃべりあうが、相手の心の中に踏み込んでまで付き合うことは避けたがる。「相手を傷つけたくない」。それは「自分も傷つけられたくない」ことでもある。

社会に対しても、友人に対しても一定の距離を置こうとする。総じて日本の若者は社会的に未熟といえよう。「社会化」されていない。(1994年1月15日毎日新聞)