社会保障・雇用・労働
もはや外国人の「ブラック労働」なしでは成り立たない新聞配達の過酷な現場
「奨学金留学制度」の功罪
〔PHOTO〕iStock

新聞配達。もはや外国人なくしては、成り立たない仕事の一つだ。しかし、彼らがどれだけ過酷な労働を強いられているか、知る人は少ない。話題の一冊『ルポ ニッポン絶望工場』から「朝日奨学会」の実態を描いたパートを特別公開する。前編はこちらから

「朝日」と「ベトナム人」

朝日奨学会が招聘したベトナム人は、2年間にわたって日本語学校に通いながら新聞配達の仕事に就く。なかには、日本語学校を卒業した後も、専門学校や大学に進学して新聞配達を続ける者もいる。

最近では朝日奨学会とは無関係に、個々の販売所が来日中のベトナム人留学生をアルバイトとして雇うケースも急増中だ。そうしたアルバイトを含めれば、首都圏の朝日新聞販売所だけで少なくとも500人以上のベトナム人が働いていると見られる。

仮に500人が一人300部の新聞を配達していれば、首都圏の朝日新聞だけで15万部がベトナム人によって配られていることになる。それにしても、なぜ「朝日」と「ベトナム人」なのか。

朝日奨学会による外国人奨学生の受け入れは、もともと「中国人」がターゲットだった。1982年、朝日新聞東京本社と「中国の関係機関が、友好事業の一環」(朝日奨学会東京事務局)として始めたのである。

その後、中国のほかにも韓国やモンゴルからも新聞奨学生を受け入れるようになる。だが、これらの国からの受け入れは盛り上がらなかった。そんななか、唯一成功したのが「ベトナム」だった。

ベトナム人が奨学生として受け入れられ始めたのは、1990年代初めのことだ。きっかけは、朝日新聞系の週刊誌「アエラ」に載った一本の記事だった。記事では、当時としては珍しく日本に留学経験のあるベトナム人が、母国でつくった日本語学校が紹介されていた。その記事を見た朝日新聞販売所の経営者が、日本語学校の校長に会うためわざわざ現地を訪ねた。

バブル期ではあったが、販売所に人が足りないわけではなかった。事情を知る関係者によれば、その経営者は純粋にベトナム人の人材育成を目指していたのだという。

「日本が貧しかった時代、朝日に限らず新聞奨学生は、地方の若者にとってはありがたい制度でした。恵まれない家庭の子どもたちでも、都会の大学で勉強することができた。彼(経営者)も元新聞奨学生なんです。1990年代初めのベトナムは、今にもまして貧しかった。日本語学校で勉強しても、日本に行くチャンスなどほとんどありません。そんな若者たちに彼は、日本で学べる道を開こうとしたのです」

経営者と日本語学校の校長は意気投合した。そして帰国後、経営者が朝日奨学会に話をつけ、ベトナムからも招聘奨学生を受け入れることになった。

ベトナム人奨学生の受け入れだけが成功したのも、この経営者の存在が大きかった。奨学生は来日後、新聞配達に必要な原付バイクの免許を取得する。もちろん、試験は日本語で受ける。そのサポートから始まって、仕事を始めた後の悩みの相談まで、経営者はまさに親代わりとなって時間を割いた。

一方のベトナム人たちも、招聘奨学生となる道をつくってくれた経営者や販売所、さらには出身校であるベトナムの日本語学校の期待に応えようと、懸命に仕事と勉強の両立に励んだ。その結果、日本語学校を卒業後、国立大学に合格するような奨学生も相次いだ。

そんな話がベトナムに届くと、現地の日本語学校にはさらに優秀な学生が集まるようになっていく。ベトナムでは政府関係者の子弟でもなければ、海外留学など高嶺の花だった。しかし、新聞奨学生になれば、日本という先進国への留学の道が開かれるのだ。