『戦艦大和ノ最期』から私たちがいま学ぶべきこと〜その"言霊"を読み解く
敗れたがゆえに生まれた文学
米軍の爆撃を避け、急旋回する戦艦大和〔photo〕U.S. Navy, gettyimages

保阪正康(ノンフィクション作家)

「生者」と「死者」の言葉

吉田満さんの『戦艦大和ノ最期』について語るに当たり、前提として二、三、まず押さえておきたいことがあります。

一つは、昭和12年(1937)の日中戦争開戦から、昭和20年(1945)の太平洋戦争終結に至るまでで、もっとも多く戦場で亡くなったのはどの世代なのか、ということです。

保阪正康さん

詳しい統計はありません。私はいろんなかたちの取材で、多くの戦場体験者に話を聞いてきたのですが、大正11年(1922)生まれと大正12年(1923)生まれが戦死者のピークであろうと思います。とくに大正11年生まれが多い。

彼らは昭和17年(1942)、太平洋戦争が始まった直後に、20歳で兵隊検査を受けています。『戦艦大和ノ最期』の著者である吉田満さんは大正12年1月6日の生まれで、多くの大正11年生まれと同じ学年です。

この世代は、戦争で大勢亡くなっていると同時に、もっとも戦争の本質的なことを語っています。戦争末期に没した学徒兵の文章を集めた『きけ、わだつみの声』には、74人分が収録されていますが、そのうち大正11年、12年生まれのものが、半分ぐらいを占めるのではないかと思います。

『きけ、わだつみの声』に、上原良司という慶応大学経済学部の学生の遺稿があります。特攻で死ぬ彼は、出撃前日に書き残した所感のなかで「私は自由主義者である」と言っている。

また、枢軸体制のこのような国家が戦争で勝つことはありえない。残念だけど日本は負けると思う、と明言しています。

一人の自由主義者が、明日死んでいく。その後ろ姿は淋しいけれど、心中満足で一杯である、というようなことも言っている。もちろん、いろんな意味に解釈しないといけませんが。

あるいはフィリピンで亡くなった竹内浩三という詩人がいます。彼は大正10年生まれで、『戦死やあはれ』という詩を遺しています。

戦死やあはれ
兵隊の死ぬるやあはれ
とほい他国で ひょんと死ぬるや
だまって だれもいないところで
ひょんと死ぬるや
ふるさとの風や
こいびとの眼や
ひょんと消ゆるや
国のため
大君のため
死んでしまうや
その心や

この年代で亡くなった人たちが書き遺したものには、生者と死者の区別がない印象があります。生者は死者であり、死者は生者であり……。

上原良司は特攻隊で死んだ。竹内浩三もフィリピンで死んだ。誰々も輸送船が沈められて太平洋に眠っている。誰々の遺言はある、誰々の遺言はない……。

いま、ここで挙げたのは死者の遺した言葉ですが、同時に生者が引き継いだ言葉でもあるのです。生者の言葉と死者の言葉には、この年代に関してはほとんど壁がなく、回路ができていると思うのです。

私が最初に『戦艦大和ノ最期』を読んだのは高校時代です。こんなにリズムを持った文章で、壮大な叙事詩が歌いあげられていることに感じ入り、大正12年生まれの人が、歴史に位置づけられてしまった宿命を感じました。