故郷への帰還を待ち続ける日本兵の遺骨を、私たちはどうすべきか
いまも野ざらし雨ざらし
ムサキ島に散乱していた骸(筆者撮影)

文/Pan Asia News大塚智彦

それはまさに息をのむ光景だった。2014年3月、インドネシアの東の果て、ニューギニア島の西半分を占めるパプア州。その北に浮かぶビアク島からさらに小舟でたどり着いた無人島での出来事だった。

穏やかで温いさざ波が寄せる波打ち際から約10メートル、草もまばらな湿った砂地にそれこそ「散乱」していたのは人骨。眼窩の空洞が長年待ち続けた来訪者である筆者を射すくめるように見据えていた。頭蓋骨だけでも約30、大腿骨、肋骨などが波に洗われたように点在していた。

ビアク島の中心部から車で4時間、陸地でつながった西隣のスピオリ島の町コリドへ。コリドから小舟で2時間、約100世帯が暮らすインスバビ島。この地の果ての島を拠点に地元住民の情報を頼りに日本兵の遺骨を探した。

周囲約200メートルの無人島ムサキ島に「多くの骨が残されている」との情報を聞き込み、上陸した浜から島を半周した場所で見たのが冒頭の「光景」だった。

死んでも帰れぬニューギニア

今日、日本は終戦の日を迎える。終戦の日前後にはマスコミがこぞって戦争に関連した企画や特集を伝えるため、多くの日本人が71年前に思いを馳せることになる。

太平洋戦争の激戦地の一つとして知られるビアク島。1944年4月28日、島を死守するべく待ち構える日本軍1万2400人の前に、約3万人の米軍兵が艦砲射撃や空爆の援護を受けながら上陸を開始した。

食糧・飲料水、医薬品が絶対的に不足し、マラリアや風土病、負傷、そして圧倒的な弾薬不足、貧弱な装備という劣勢の中での戦闘は敗走につぐ敗走、戦死、病死、自決とまさに「ジャワの極楽、ビルマの地獄、死んでも帰れぬニューギニア」と言われた評判そのものだった。

終戦時捕虜となった日本兵は434人、このほかに生存していたのはわずか86人で、戦後収集された遺骨は約4500柱。いまだに約6000人の日本兵の遺骨が島のジャングルの中、身を潜めた洞窟の中、あるいはサンゴ礁の海中で「水漬く屍、草生す屍」と化して故郷への帰還をひたすら待ち続けている。

小さな無人島ムサキ島