1985年夏「日航機墜落事故」、発生直後に駆けつけた3人が目撃したもの

人類史上最悪の航空機事故
週刊現代 プロフィール

松本 遺体は藤岡市の市民体育館に収容されました。棺に納められた遺体をご家族が確認し、静かに戻ってくる。毎日、その繰り返しでしたね。

米田 体育館の中は線香の匂いで充満していました。最初は完全遺体の方が多かったのですが、だんだん部分遺体が増えていきました。部分遺体は山の上で何日も経っているので、虫がたくさん湧いている。見たこともない大きなウジ虫です。関係者の方が体育館の裏で洗い流していました。

藤原 私は2ヵ月間現地にいて、雨の日以外はほぼ毎日現場に通いました。事故の原因を調査するためです。感傷に浸っていては仕事にならないので、あえて感情を押し殺して山に登り続けました。

米田 事故報告書では、後部圧力隔壁の修理部分に亀裂が生じ、それが引き金になって隔壁に穴が開き、機内の与圧された空気が一気に流れる「急減圧」が発生。それにより垂直尾翼が破壊されて操縦不能となり、墜落したとされました。

藤原 調査初日に胴体の中にしかない断熱材が尾翼の中にたくさん入っているのを見つけました。圧力隔壁が破れないと、断熱材は尾翼には入りません。隔壁が破れたことが事故の引き金になったということを、その時点で確信しました。

米田 いろいろな説が出ました。なかにはミサイル撃墜説なんてトンデモないものもありましたね。

藤原 海上自衛隊が新しいミサイルを試射したところ、それが123便に命中してしまったため、証拠隠滅のために撃墜を命じたが、2発目は外れてしまったという説です。デタラメもいいところですが、これを一笑に付すわけにもいきません。当時出たさまざまな説に対しての反証を報告書に盛り込んだつもりです。

機体の残骸は2週間かけてすべて運びだしました。民間の業者に委託して、ヘリで山のふもとに下ろし、仕分けしてトラックで東京に運んだのです。その総数は1330点。計41トン、トラック20台分になりました。

松本 残骸から会社員の方が機内で家族へ書いた遺書も見つかりました。「マリコ、津慶、知代子」と始まり、「どうか仲良くがんばってママをたすけて下さい」、「本当に今迄は幸せな人生だったと感謝している」と結ぶ、219字の遺書は予期せぬ死を前に家族への深い愛情に満ち溢れています。

米田 いまはJALの安全啓発センターで保管されていますね。事故に関係するものは、可能なかぎり置いてあります。

 

松本 私はこの遺書を読んだとき、現場の凄絶さを目の当たりにしたときと同じように、ショックを受けました。事故の存在すら知らない若者たちにも伝えたいと思って、いまも大学のゼミで毎年、取り上げています。

米田 事故から30年の昨年、私は現地を訪れました。当時、取材に協力していただいた方が別れ際に言った、「御巣鷹を520人の命を奪った『恨みの山』だというが、わしら村の人間にとっては4人も助かった『奇跡の山』だと思っている」という言葉が忘れられません。

藤原 私も去年、御巣鷹に登りました。いまは登山道が整備され、かつて3時間ほどかかった墜落現場まで1時間かからずに行けます。何度登っても厳粛な気持ちになりますね。事故で削られた山肌に植えられたカラマツの苗木がいまは樹齢30年を超えて、うっそうと茂っています。

'85年以降、日本のエアラインは職員も含めて一人も犠牲者を出していません。ゼロというのは奇跡的です。この事故の教訓が生かされていると私は信じています。

「週刊現代」2016年8月20日・27日合併号より