1985年夏「日航機墜落事故」、発生直後に駆けつけた3人が目撃したもの

人類史上最悪の航空機事故
週刊現代 プロフィール

米田 救出された川上慶子さんは短パンをはいていたので、最初は男の子に間違われたそうですね。

松本 ええ。川上さんは比較的意識がはっきりしていて、担架にのせられて運ばれていくときに、シャッターを切るのも忘れて「がんばれ、がんばれ」と声をかけると、「うん」と答えてくれました。

米田 救助された4人はヘリコプターで上野村にあった対策本部に運ばれてきました。当初「生存者は8人」という情報が流れましたが、実際に運ばれてきたのは4人。水玉のブラウスを着ていた落合さんは青い顔に血痕が付着し、痛々しかった。

 

松本 私が現場にいたのは、1~2時間程度だったと思います。現場上空を飛んでいた朝日新聞のヘリコプターに無線で連絡。ロープで降りてきてもらって撮影したフィルムを手渡しました。

米田 ヘリでの救出シーンはフジテレビが生中継しましたが、新聞で夕刊に間に合ったのは朝日新聞だけでしたね。

松本 私はたまたま運が良かった。その後、別のヘリコプターに乗り、朝日新聞本社の屋上に降りたんです。すぐに局長室に連れていかれ、「見たこと、感じたことを全部しゃべれ」と。社会部の記者が、私の話をまとめて記事にしました。

219字の遺書

米田 あれだけの報道陣が集まりながら、現場までたどり着けたのはほんの一握りでした。

藤原 山で迷子になった人は無数にいました。私たちも13日に現場に入る予定でしたが、視察に訪れた運輸大臣の対応に時間をとられ、翌14日の朝一番で現場に向かいました。

消防団に案内を頼んだのですが、調査団10数名に加え、日航関係者が40~50人連なって登っていくと、「これに付いていけば大丈夫だろう」と報道陣が集まってきたのです。事故現場に着いたときの人数は出発した際の倍以上になっていました。

米田 現場に近づくと、機械油の臭いや焦げくさい臭いがしてくるんです。

藤原 現場に着くと遺体の臭いが酷かったですね。

米田 事故から2~3日後、山を降りたところにある取材拠点でハエや蚊を見なくなったんです。地元の人に聞くと、「臭いを求めて山に上がった」と。私は東京に戻っても、腐臭を感じました。実際はそんな臭いはしないのですが、鼻孔にこびりついていたのかもしれません。気にならなくなるまで1ヵ月かかりました。