1985年夏「日航機墜落事故」、発生直後に駆けつけた3人が目撃したもの

人類史上最悪の航空機事故
週刊現代 プロフィール

藤原 上空から見たときも、直感的に生存者がいるとは思えませんでした。生存者は機体の一番後ろのほうの座席に乗っていたのが幸いしたんです。樹木がクッションのような役割を果たしてショックを吸収しながら機体は頭から落ちていったので、一番後ろが最も衝撃が少なかったわけです。

米田 ボイスレコーダーはどこで見つかったのですか?

藤原 ボイスレコーダーも生存者が発見された付近で、遺体を収容した後に見つかりました。ボイスレコーダーは最後部のトイレの天井裏にあるんです。

実は生存者がいないことを確認したら、国際機関の事故調査マニュアルでは現場を保存するために遺体を動かしてはいけないんです。後日、米国の調査団から文句を言われましたが、私どもは「日本はブッダの国だ。遺体を放り出したまま仕事をするなんてことはできない」と反論しました。

松本 私は現場に辿り着いた当初は後頭部を殴られたような思いで頭が真っ白になってしまいましたが、すぐに夢中になってシャッターを切りました。

吉崎さんは痛さに呻き声をあげ、落合由美さんは血だらけで声も出せない様子で目の前を通りすぎて行きました。カメラマンは興奮して、みんな泣きながら写真を撮っている。私も知らぬ間にボロボロと涙を流していました。ああいう感情になったのは初めてです。

 

米田 松本さんが登った翌日14日に、御巣鷹の尾根に登りましたが、現場は足の踏み場がなかった。

松本 そうですね、どうしても残骸の上から足元の遺体を踏んでしまう。まるで布団の上を歩いているような、ふわふわとした感じでしたが、あの靴底の不気味な感触は絶対に忘れられません。

米田 上を見ると、内臓や皮膚が木の枝にまとわりついてひらひらとぶら下がっている。周囲の樹木全体がそうなんです。炭化した遺体の足や手も地面のあちこちから出ていて、私は遺体に目の焦点を合わせないように歩いていました。

松本 まさに地獄絵です。