1985年夏「日航機墜落事故」、発生直後に駆けつけた3人が目撃したもの

人類史上最悪の航空機事故
週刊現代 プロフィール

藤原 自衛隊は、墜落当日の夜に現場を確認しています。ところが、自衛隊から上がってきた墜落現場の情報は3地点、しかも位置にかなりばらつきがありました。

米田 防衛庁(当時)の公式発表は御座山北斜面、御座山南斜面、扇平山の北側、御座山の東5kmと、次々に変わりました。

松本 現場周辺の山は大混乱でした。報道陣の車が殺到し、山の上の一本道で鉢合わせすると、お互いに「どこに行くつもりだ!」、「現場だ!」と怒鳴り合っている。結局、そこが現場ではないことがわかると、みんなで山を下りました。

藤原 翌日朝、自衛隊によって現場が確定されると、私は埼玉県の入間基地からヘリコプターに乗り、現場に直行しました。

空から墜落現場を見てまず驚いたのは、あの大きな飛行機がまったく原形をとどめていなかったことです。翼が一枚だけ見えましたが、あとはただ残骸の山。「本当にここにジャンボ機が落ちたのか」と思いましたね。

米田 まるで東京湾の「夢の島」のようでした。

泣きながら写真を撮った

松本 私はふもとから6時間ほどかけて登っていったのですが、道なき道を登りきったところに紙くずや衣類、ぬいぐるみなどが所狭しと散らばっていました。まさかそこが墜落現場とは思わずに、一瞬、「なんて汚い山なんだ」と勘違いしたほどです。でも、上を見ると、いきなり視界が開けた。

藤原 ジャンボ機が滑り落ちたところですね。御巣鷹の尾根に衝突したジャンボ機は斜面を滑り落ちて行き、そこにあった樹木すべてをなぎ倒しましたから。

松本 ええ。そこだけぽっかりと空間が広がり、きれいな空が見えました。

藤原 機体は壊れながら谷底まで落ちて止まりました。そこがゴミの山のようになっていたのです。

 

松本 現場ではどこにカメラを向けても遺体が写ってしまうような状況だったので、最初は生存者がいるなんて思いませんでした。

ところが、担架にのせられた比較的きれいな状態の女性に望遠レンズで照準を合わせると、指がピクリと動いたのです。驚いて消防団の団員に伝えると、「生きています」と。4人の生存者の一人、吉崎博子さんでした。ファインダー越しに動いた指は今もこの目に焼き付いています。