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『シン・ゴジラ』に覚えた“違和感”の正体〜繰り返し発露する日本人の「儚い願望」
野暮は承知であえて言う
日本の政治家や官僚は非常事態でも都合よく「覚醒」しない…(『シン・ゴジラ』予告より)


文/辻田真佐憲(近現代史研究者)

バブル時代とゴジラ映画

経済大国日本は、21世紀にその財力で赤字国の領土を買いあさり、22世紀に世界最大の面積を誇る大国になり、23世紀に唯一の超大国として世界に君臨するにいたる。この事態を憂慮した未来人の一部は、タイムマシンを使って20世紀末の日本に怪獣を送り込み、日本を徹底的に破壊して、歴史を改変しようと試みる――。

これは、1991年12月に公開された『ゴジラ対キングギドラ』(大森一樹監督)のストーリーである。衰退する一方の現代日本では、このストーリーはいまやまったく現実味のないものになってしまった。

しかし、この脚本が書かれたころの日本では、必ずしもそうではなかった。

当時の日本はバブル景気の真っ直中であり、世界中の企業を買いあさるなど、まさに我が世の春を謳歌していた。いわゆる「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の時代だ。それゆえ、日本がこのまま世界を支配するという荒唐無稽なストーリーにも、一定の説得力があったのである。

ただの怪獣映画と侮ってはならない。娯楽映画であったとしても、その内容や消費のされ方には、時代や政治の動きが反映される。ましてゴジラ映画は、太平洋戦争や水爆実験など、時に現実世界のできごとと密接に関係してきたのだから、なおさらそうである。

失われた20余年と『シン・ゴジラ』

ひるがえって、今年7月末に公開された新作(日本製作では約12年ぶり)の『シン・ゴジラ』(庵野秀明総監督)はどうだろうか。