リオ五輪、心がふるえた潔い「敗者」の言葉〜私たちが学ぶべきはこの姿勢ではないか
がんばれ、ニッポン!
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心を揺さぶられるのは、むしろ負けた人たちに、だ

リオデジャネイロ五輪の熱い戦いが続いている。体操個人総合で二連覇を達成した内村航平選手をはじめ金メダリストたちは素晴らしい。だが、私たちが学ぶべきなのは「負けた人たちの凄さ」なのではないか。

テレビや新聞が繰り返し報じるのは「勝った人たち」だ。この原稿を書いているいまも、テレビは内村選手が金メダルを獲得した演技を再放送している。鉄棒の着地をピタリと決めた瞬間は、何度見ても「うわ~凄い!」と思わず声を上げてしまう。

重圧の中、完璧な演技で最後の大逆転を演じてみせたのは、まさに超人というほかない。私たちは彼ら彼女の圧巻の演技、強さに感動する。だが、私が心を揺さぶられるのはメダリストたちより、むしろ負けた人たちだ。

体操に限らず各種目のメダリストたちの背後には何万、いや何十万ものアスリートとその予備軍がいる。五輪メダリストはその頂点に立つ人々だ。だが、負けた選手たちも4年間を全力で走り続けてきた。

彼らがこなした苦しい練習、受け止めてきたプレッシャー、厳しい自己管理はメダリストたちと変わらない。だが、その結果は残酷だ。

勝った選手はメダルを手にして賞賛のスポットライトを浴びる。だが、負けた選手は敗北と挫折、自己嫌悪の中でスポットライトを浴びることになる。

勝利のインタビューより敗北のインタビューを受けるほうが、はるかに辛く勇気がいる。だから、勝利者よりも敗北者としてカメラの前に立つ選手の方がはるかに賞賛に値するとさえ思うのだ。