東洋の魔女から昭和の三四郎まで…日本人金メダリスト「全員」のいま【一覧付き・前編】

'28年アムステルダム五輪~'64年東京五輪
週刊現代 プロフィール

「現役引退後は明治乳業に就職しました。営業一筋だったので、確かに金メダルは役に立ちました。名刺を出すと一発で名前を覚えてもらえましたから。でもその代わりに、ミスをすると『金メダリストのくせにあんないい加減な仕事をしているのか』と人の二倍は文句を言われましたね。だから誰よりも早く出勤し遅くまで働きました。入社当初は死にもの狂いでしたね」

重量挙げの三宅義信(76歳)は引退後、自衛隊体育学校の校長を務め、退職後はNPO法人「ゴールドメダリストを育てる会」を設立。来る2020年東京五輪に向けて、後輩の指導に精を出している。三宅が語る。

「金メダルを利用してスポーツ界に貢献しようとする人もいれば、ずっと机や戸棚にしまっておく人もいる。価値観は人それぞれ違うので、どっちが正しいとは言うつもりはないのですが、個人的な意見としては、金メダルをいかに使うかによって人生はいくらでも面白くなると思うんです。

もちろん、金メダリストとしての喜びもあれば苦痛もあります。でもそれを味わえるのも金メダルを獲った者だけですからね」

前畑秀子の息子が語る

金メダリストたちはそれぞれの使命を持って、その後の人生を歩んできた。その先駆けとなったのが、1928年のアムステルダム五輪で、日本人初の金メダルを獲得した三段跳びの織田幹雄(故人)だ。織田の次男である和雄氏が父との思い出を語る。

「父ほど陸上を愛していた人は他にいないと思いますね。当時は三段跳びの指導者もいないので全部独学。いつもノートを持ち歩き、練習方法や食事をメモしていたようです。研究熱心な人でした。

早稲田大学卒業後は、朝日新聞で運動部の記者として働いていた。戦後は会社に所属しながら、日本オリンピック委員として東京五輪を誘致するために、諸外国を飛び回っていましたね」

ちなみに和雄氏は、天皇陛下のテニス仲間で美智子皇后との間を取り持った人物でもある。

「父は私たち子供にもスポーツの楽しみを教えてくれました。おかげで兄は陸上、私はテニスをずっと続けてきました。天皇陛下と知り合うことができたのもある意味では父のおかげです。

また、ある時父が、私と兄に自分で焼いた花瓶をプレゼントしてくれたのです。そこには『世界人たれ』『先頭を走る者の偉大さを知れ』とメッセージが彫られていました。父は『精進』とよく言っていましたが、その通りの人生だったと思います」

'36年のベルリン五輪で、日本人女子初の金メダリストとなったのが競泳の前畑秀子(故人)だ。引退後は結婚し、二人の子供をもうけた。

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