東洋の魔女から昭和の三四郎まで…日本人金メダリスト「全員」のいま【一覧付き・前編】

'28年アムステルダム五輪~'64年東京五輪
週刊現代 プロフィール

金メダルを獲得した瞬間はまさに人生の「絶頂」で、その後の人生が変わると言っても過言ではない。そして、すべての金メダリストが幸せになれるとは限らない。

カネにより人生を狂わされた金メダリストもいる。東京五輪で活躍した柔道・重量級の猪熊功(故人)だ。27歳で引退した猪熊はそれまで勤めていた警視庁を退職し、東海大学を母体とする東海建設の重役として迎えられる。東海大柔道部を瞬く間に強豪へと成長させ、'93年には東海建設の社長にまで上りつめた。しかし、柔道家としては一流でも実業家として成功を収めることはできなかった。バブル崩壊により200億円もの負債を抱え、最期は社長室で自ら命を絶った。

前出の小野の後輩で2個の金メダルを獲得した体操の鶴見修治(78歳)は、引退後どんな生活を送ってきたのか。

「引退後は河合楽器に入社し、家族で静岡の浜松に移りました。でもその後、病気で子供が亡くなってしまって……。しばらくは何も手につきませんでした。そんな時、会社で『カワイ体操教室』を作ることになり、子供たちに基本的な体操を教え始めたんです。一生懸命練習する子供たちを見て、救われた部分もありました」

会社を定年退職した後は、今年の3月まで2年間、山梨県にある私立素和美小学校の校長を務めていた。

「知人から校長先生をやってほしいと頼まれて、少しでも子供たちの役に立てるならと引き受けました。金メダルを獲れたのは、家族や後援会、会社などの支えがあったから。この年まで体操と子供の教育に関われたのは金メダルのおかげです」

同じく体操団体で金メダルに貢献した三栗崇(77歳)。三栗は現在、国際武道大体育学部の教授を退職し、講演などを行っている。三栗が語る。

「当時は、報奨金もなかったから、金メダルは本当に名誉だけ。でも、だからこそ余計にその看板を汚してはいけないと、襟を正してここまで生きてきました」

東京五輪で5個の金メダルを獲得したレスリング。その中でも無類の強さを誇ったのが「アニマル」の異名を取った渡辺長武(75歳)だ。五輪後は、先輩の紹介で電通に入社するが、その後もレスリングへの情熱は衰えず、46歳の時に退職し社会人選手権に出場。

「3回戦で負けたんですが、金メダルをとった自分が負けることが、もう悔しくて悔しくて、その時は首を吊ろうかとまで思いましたよ。

今も毎日ジムに通って身体を鍛えていますよ。腹筋は1日500回、ベンチプレスも50~60㎏は挙げられる。何歳になっても勝つことに拘り続けていきたい。これは金メダルを獲ったものの宿命かもしれません」(渡辺)

レスリングフライ級で金メダルを獲得した吉田義勝(74歳)は現在、全日本マスターズレスリング連盟の会長を務めている。吉田本人が語る。

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