週刊現代
大逆事件とは何だったのか? 理想主義者たちの「愛憎劇」

明治天皇暗殺計画の冤罪

中学生時代にたまたま親戚の家で読んだ文学全集の中に「美しき町」が収録されており、そのユートピア幻想に陶然とした記憶がある。

山中千春著『佐藤春夫と大逆事件』は佐藤春夫の作家性の原点を「大逆事件」に求め、明治末期の日本列島を震撼せしめたこの大事件との接点を究明する純粋な文学評論である。傾向詩「愚者の死」とともに「美しき町」が取り上げられており、興味をそそられた。

同じ熊野新宮に生を享けて父は熊野病院の医師であり、ドクトル大石誠之助の一族とも親しく交流していた18歳の春夫にとって、大石が大逆罪の廉で幸徳秋水ら11名とともに死刑に処せられたときの衝撃は天地がひっくり返るほどのものだったに違いない。

大石は裕福な患者にはしっかりと治療費を請求し、被差別部落に住む貧しい人々の診療は無償として神様のように慕われていた。そして人道的な社会主義の立場から頼まれれば幸徳秋水、堺利彦らが刊行する『平民新聞』への出資も惜しまなかった。

「美しき町」作中の主人公の画家Eに理想の町を建造しようと提案するテオドル、ブレンタノ(川崎貞蔵)のモデルは大石の甥、文化学院の創始者である西村伊作か、東京で春夫と交流のあったという大杉栄か、それとも伊作の弟で建築設計家の大石七分か。夢想するユートピアの母胎としては、大石一族がもたらした新宮の開明的理想主義的風土がある。