週刊現代
佐藤優「外務官僚は『二枚舌』をこう使い分けている」~『さらばモスクワ愚連隊』に見るエリートたちの生態

かつてのモスクワ旅行者の定番書

1970年代半ばに格安航空券が登場するまでは、若者がヨーロッパへ旅行するルートは、モスクワ経由だった。

横浜からソ連船でナホトカに出る。ナホトカから夜行列車でハバロフスクに行く。ハバロフスクでアエロフロート(ソ連航空)の国内線に乗り換え、モスクワに向かう。モスクワで2泊してからフィンランドのヘルシンキに列車で向かう。このルートがもっとも安かった。

モスクワからヘルシンキ行きの列車は毎日運行されているが、ソ連当局が外貨を獲得するために外国人旅行者にはモスクワで2泊することを義務づけたのだった。

'60年代末から'70年代にモスクワを観光する日本人青年は、旅行ガイドとともに『さらばモスクワ愚連隊』(初版は講談社から、'67年)をポケットに入れて、その作品に出て来たスポット(競馬場やバー「青い鳥」、ただし作品では「赤い鳥」となっている)を訪れたものだ。

主人公の北見は、学生時代はジャズに熱中していたが、30代の初めになった現在は興行師になっている。森島は北見と同時期に同じ大学に在学していた学生運動の活動家だ。2人とも学費未納で除籍となった。森島は現在、日ソ芸術協会の理事をつとめている。ある日、森島は北見にソ連からジャズバンドを招待する企画を依頼する。

〈翌日、私はその仕事を引受けると森島に電話で伝え、数日後に事務所で業務に関する簡単な覚え書を取り交した。そして、森島が帰った後で、私は日ソ芸術協会の信用調査を電話で依頼した。

調査書は三日後に届いた。銀行筋の信用は予想通り、余りかんばしいものではなかった。だが意外だったのは、会長をはじめ役員の重だったポストに五井物産ほか、旧財閥系商社のお偉方が数人顔を連ねていたことである。私は反対の側の革新団体のスポンサーを考えていたのだが。いずれにせよ、それは私にとってはどうでもいいことだった。誰の懐から出ようと金に変りはないのだ〉

本書には記されていない背景説明をしておく。

ソ連は共産主義国なので、政治と経済が密接に関係している。総合商社が大きな事業に取りかかっても、米ソ関係の悪化、北方領土をめぐる緊張などで、ビジネスを断念せざるを得なくなる。しかし、ソ連とのビジネスで人脈は重要だ。それだから文化行事を通じて人脈を構築するのである。

ちなみにソ連側の文化関係団体幹部は、ほとんどKGB(国家保安委員会=秘密警察)の将校だ。したがって、こういう人たちとの人脈はビジネスに役立つ。

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