作家・川上弘美が「こんな小説を書いてみたい」と思い続ける連作短篇の名作
講談社文芸文庫・私の一冊

文/川上弘美

町もの、と勝手に呼んでいるのだが、一つの町の中のさまざまな人たちについてのオムニバス形式の作品が、昔から好きだ。

最初に読んだ「町もの」が、このワインズバーグ・オハイオだった。アメリカはオハイオ州の架空の町ワインズバーグに暮らす人々についての、小さな物語の集まりである。

いわゆる華やぎのあるドラマチックな物語はほとんどないにもかかわらず、いや、むしろどちらかといえば陰鬱なエネルギーが発散しきれずにわだかまっているような、地味なこの町の人々であるにもかかわらず、まだ高校生の自分がなぜ惹かれたのだか、その時にはよくわからなかったが、今になってみれば、「消化しきれないものにこそ魅力を感じる」という自分の性向はすでに十代の頃から始まっていたからだということが、よくわかる。

滋味がある、といえば聞こえがいいが、どちらかというと、えぐみの強い、と表現した方がいい、そんなワインズバーグの人々と、土地の景色の乾いて荒涼とした雰囲気は、現在ふたたび読むと、いっそのことなつかしい。オハイオに暮らしたことはないのに、東京とはまったく異なる場所なのに、いつか知っていたことがあるような不思議な記憶が呼び覚まされる。

このようなオムニバス形式、このごろのわたしたちなら「連作短篇」と呼ぶ形式の、最初の小説が、この『ワインズバーグ・オハイオ』であるとも言われており、以前はこのような形式の小説を「ワインズバーグ形式」と呼んだとも聞く。

浦安の漁師町を舞台とする山本周五郎の小説『青べか物語』も、本書を念頭に書かれたということを、山口瞳のエッセイで読んだ記憶がある。小説を書くなら、本書のような小説を書きたいと、高校生の昔からずっと思っていた。小説家になった今も、思っている。

川上弘美(かわかみ・ひろみ)小説家。「神様」でデビュー。著書に『蛇を踏む』『センセイの鞄』『真鶴』『水声』他多数がある。最新作は『大きな鳥にさらわれないよう』(講談社刊)。

 「IN ☆POCKET」2016年6月号より

架空の町を舞台に、現代人の孤独や不安などに切りこんだ、アメリカ文学史上の傑作。ヘミングウェイ、フォークナー、スタインベックをはじめ、後世の作家に影響を与えた。