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東京中を破壊するゴジラが、いつも素通りする場所とは? 「シン・ゴジラ」が暗示する日本のあやうさ

中川 右介 プロフィール

といっても、ストレートに反原発を訴えるわけでもない。

54年の『ゴジラ』が、観客に核兵器の恐怖を植えつけたほどは、多分、反原発の世論形成に直結するものではないだろう。

分かる人には分かる、という程度の暗喩だ。

これまでのゴジラ映画との違い

これまでのゴジラ映画でも、政府・自衛隊の対応ぶりがリアルに描かれた作品はあったが、『シン・ゴジラ』は、政府・自衛隊の対応を描くことに終始している点で根本的に異なる。

さらに、これまでの大半のゴジラ映画は、ジャーナリストや科学者や、少年や少女といった市井の人物が中心になり、人間ドラマが描かれていたが、本作にはそういう市井の人々は出てこない(情報提供者としてジャーナリストが出てくるが、出番は少ない)。

市井の人々は、巨大不明生物から逃げまどう群衆としてのみ登場する。いや、逃げまどう群衆ですらなく、「避難させるべき国民」としてのみ登場する。

完全に視点は政府サイドの人間にある。

さらに、その政府サイドの主要人物である政治家も、年齢からして家庭があるはずだが、妻や子供は出てこない。

巨大不明生物が暴れるので東京は壊滅寸前になり、総理以下の閣僚も都心から避難することになる。

実際の3.11ではそこまでの事態にはならなかったが、現在では、あのとき、東京まで避難区域になる寸前だったと分かっている。

絵空事ではないのだ。