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東京中を破壊するゴジラが、いつも素通りする場所とは? 「シン・ゴジラ」が暗示する日本のあやうさ
脚本・総監督/庵野秀明、「シン・ゴジラ」予告編より

文/中川右介

「怪獣映画」というより「災害映画」

『シン・ゴジラ』を公開初日(7月29日)の午前中に観てきた。

「公開日まで内容については一切もらさない」との趣旨の誓約書に署名捺印しなければ試写も見られないという、かつてない情報管理がなされたことが映画業界では話題になっていた。

その話を聞いて「国家機密より厳しいのか」と言って笑っていたのだが、なるほど、映画そのものが「国家」を真正面から描いたものとなっていた。

東宝の社員各位は、日本国を背負っている気分になってしまい、特定秘密保護法を適用し、『シン・ゴジラ』を特定秘密に指定したのだろう(これは皮肉です、念のため)。

秘密にしていたのは内容に自信がなく、試写を観た映画評論家やジャーリストたちが「つまらない」「たいしたことない」とネットなどに書き込むのを恐れているからだとの噂もあった。

さて、どうだったか。

怪獣映画を期待して観た人にとっては、文句があるかもしれないが、ポリティカル・フィクションとして存分に楽しめた。「特撮映画」としても、CGによる映像は見事だった。

劇中、「怪獣」という言葉が出てきた記憶がない(もしかしたら、誰かのセリフにあったかもしれないが)。少なくとも、「怪獣」という言葉は強調されず、したがって、やはりこの作品は「怪獣映画」であることを拒否しているのだと思う。

『シン・ゴジラ』でのゴジラは、政府の官僚によって「巨大不明生物」と呼ばれている。いかにもお役所用語なのだが、それを前面に出すことが、この映画が「災害映画」の一種であることを示している。そしてそれは「戦争映画」にごく近いところにある。

これまでのゴジラ映画は、すべて、第一作である1954年の『ゴジラ』の何らかの続編、後日談という設定だった。

しかし、『シン・ゴジラ』は過去のゴジラ作品の全てがなかったことになっており、日本は、というよりも人類は初めてこの「巨大不明生物」に遭遇する。