「室伏を育てた男」は、なぜ表舞台から姿を消したのか~幻の世界記録を出した日本人陸上選手を追って
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かつて日本に、幻の世界記録を出した陸上選手がいた――。数々の伝説を残すも、忽然と姿を消した溝口和洋。その足跡を追い、『一投にかける 溝口和洋、最後の無頼派アスリート』を著したノンフィクション作家・上原善広の特別寄稿。

いまだ破られぬ記録

紆余曲折をへて、ついにリオ・オリンピックが開かれる。

オリンピックといえば、何といっても陸上競技が人気だ。普段は陸上競技など見ない人も、オリンピック中継ではマラソンや100メートル走を目にすることも多いのではないだろうか。これ以上なくシンプルに突きつめた陸上競技は、まさにオリンピックの花といえる。

その陸上競技でかつて、〝幻の世界記録〟を出した日本人選手がいた。

その選手の名は、溝口和洋。体格的にもっとも日本人に不向きな投擲競技「やり投げ」で世界を転戦し、WGP(世界グランプリ)シリーズで日本人初の総合2位になった。今から27年前、1989年のことだ。溝口氏がもつ日本記録、87メートル60は、いまだ破られていない。

この記録は当初、当時の世界記録87メートル66を2センチ更新した、87メートル68と発表された。しかしアメリカ人の審判団による恣意的な再計測により、世界記録より6センチ足りない87メートル60に訂正された。そのため、この溝口のベスト記録は〝幻の世界記録〟と呼ばれたのだった

先日、引退表明をしたハンマー投げの室伏広治選手は、2004年のアテネ・オリンピックで投擲日本人初の金メダルを獲得しているが、彼はもともとルーマニア人とのハーフで驚異的な身体能力をもっていた。しかも彼を実質的に指導したのも、実はこの溝口和洋なのである。室伏はかつて、プロフィールの「尊敬する人」欄に、溝口の名前を挙げていたほどだ。

その溝口和洋はまた、無頼な伝説に事欠かない人物だった。

中学時代は将棋部で、運動は全くしていなかった。練習後は後輩を引き連れて毎晩のように遊びに出歩き、酒も一晩でウィスキー二本は軽い。朝まで女を抱いたあと、その日にあった日本選手権で優勝。気に入らない記事を書いた記者を見つけると、追いかけ回して袋叩きにした。1989年には世界記録まであと六センチという大記録を投げ、WGPのために欧米を転戦、日本人初の総合二位となる。

しかし、その翌年から忽然と姿を消してしまう。その後の消息は、パチプロをしているという噂もあるが、陸上関係者もよく知らない……。