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なぜビートたけしは昭和の事件当事者を演じるのか
新連載 ビートたけしが演じた戦後ニッポン 第1回
〔PHOTO〕gettyimages

大久保清、千石剛賢、田岡一雄、金嬉老、東条英機、立川談志。さらには、三億円強奪事件の犯人、豊田商事会長刺殺事件の犯人、エホバの証人輸血拒否事件で死亡した男児の父親……。俳優・ビートたけしは、なぜかくも実在する人物を数多く演じてきたのか。 『タモリと戦後ニッポン』著者・近藤正高氏が解き明かす。

日本の俳優は、「なりきらない」

《日本の俳優は、ひとつの役のなかで、かならず自分の顔をだすんです。西欧の俳優は逆です。巡査なら巡査そのもの、坊主は坊主に生れかわっちゃう。別の人間に生れかわっちゃう》

俳優で、のちには映画監督となる伊丹十三は1968年にこんなことを語っていた(虫明亜呂無「深夜のボーリング場から――厳格主義者・伊丹十三」、『仮面の女と愛の輪廻』清流出版、2009年所収)。この発言は、伊丹がその少し前に、『北京の55日』(1963年)、『ロード・ジム』(1965年)と、アメリカおよびイギリス映画で欧米の俳優たちと共演した経験を踏まえてのものだ。

伊丹の発言には、たしかに思いあたるふしがある。日本の俳優が「かならず自分の顔をだす」のは、観る側が求めているところも多分にあるだろう。高倉健、勝新太郎、石原裕次郎、吉永小百合などといったスター俳優にはそれぞれ確固たるイメージがあり、役を演じていてもそれに合致していることが強く期待された。

やくざ映画全盛期、高倉健が銀幕のなかでいよいよ殴りこみをかけるという場面を迎えると、客席から「待ってました、健さん!」などと掛け声が飛んだというのは、その期待のわかりやすい表れといえる。

これに対し、西欧の俳優の役のなりきり方には驚かされることがやはり少なくない。それはとくに実在の人物をモデルにした作品に顕著だ。思いつくままにあげても、『マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙』(2011年)のメリル・ストリープはイギリスの元首相サッチャーと声もしゃべり方もそっくり似せていたし、『クィーン』(2006年)のヘレン・ミレンも同様にエリザベス女王になりきっていた。

『クィーン』では英首相のトニー・ブレアを演じたマイケル・シーンも印象深いが、あまりに似ていて、『フロスト×ニクソン』(2008年)のテレビ司会者デビッド・フロストと同じ俳優だとはしばらく気づかなかったくらいだ。この手の作品にはほかにも、『ガンジー』(1982年)のベン・キングズレー演じるインド独立の父ガンジー、『カポーティ』(2005年)でフィリップ・シーモア・ホフマンが演じたアメリカの人気作家トルーマン・カポーティなど、枚挙にいとまがない。

しかし日本で同様のケースを探すとなるとなかなか思いつかない。そのなかにあって、戦後まもなくの首相・吉田茂を主人公とした映画『小説吉田学校』(1983年)は出色といえる。主演の森繁久彌は本来、吉田茂とは似ても似つかない。

にもかかわらず森繁は外貌もしゃべり方も、挙措動作までそっくり似せてみせた。映画公開の時点で吉田が死んでから20年も経っておらず、まだ多くの人が憶えていただけに、似せるには苦労したらしい。いちばん大変だったのは、体を小さく見せることだったという。森繁出演ドラマを多数手がけたTBS出身の演出家の久世光彦は、《形(なり)の大きな森繁さんが、五尺そこそこの大宰相に見えた》と絶賛した(森繁久彌・久世光彦『大遺言書』新潮文庫、2006年)。ちなみに5尺とは約150センチに相当する。

森繁と対照的だったのが、『負けて、勝つ~戦後を創った男・吉田茂~』(NHK総合、2012年)の渡辺謙である。渡辺は森繁のように長身を隠そうとはしなかった。私はそこにやや違和感を覚えた。もっとも、これはミスキャストというよりは、アメリカと対等に渡り合った大宰相を描こうという制作企図からの配役だったのだろう。

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