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【追悼】大橋巨泉が明かす『11PM』秘話と、わが人生
「好きなように、生きてきた。くよくよしても仕方がない!」
【PHOTO】iStock

大橋巨泉さんが、12日に亡くなられたと発表されました。ご冥福をお祈りするとともに、『11PM』『ゲバゲバ90分!』『クイズダービー』など、数々のヒット番組の裏側、有名人との交流、そして突然のセミ・リタイア宣言まで、そのすべてを書き尽くした『ゲバゲバ人生』の中から、『11PM』誕生秘話について書かれた部分を特別公開いたします。

『11PM』誕生秘話

正確な日時は憶えていないが、一九六五年(昭和四〇年)の夏だったような気がする。日本テレビの井原高忠さんから電話があって、新番組のブレーン・ストーミング(アイデアを出し合う会議)に出てほしいと言う。場所も憶えていないが、集まった人のうち何人かは憶えている。間違いなく中原弓彦(小林信彦)さんはいた。前田武彦、永六輔、青島幸男、キノトールの諸氏のうち何人かはいたと思う。第一広告か協同広告の人がいたような気がする。

井原さんは開口一番、面白いことをしゃべり出した。曰く、テレビは今もてはやされているが、実は売り場面積に関してはその辺の八百屋や魚屋にも劣る。彼らは客さえ来れば無限に面積を増やせるけれど、テレビは目一杯売っても一日二十四時間しかない。

現在はやっと十五時間くらいが売れていて、深夜・早朝はまったく商売になっていない。白黒の古い映画なんか流している夜中なんて、まったくお金になっていないのだ。この辺を開拓したいのであると言う。

こう書くとこの人は凄い経営者と思う読者もいようが、それが全然違うのだ。ソロバンずくで考えているのではなく、なんとか面白い番組をつくりたいだけなのである。前にも書いたと思うが、この人にとってテレビは「趣味」なのだ。ただ局や代理店を乗せるためには、こうした「商売」をもち出すのが早い。とにかくテレビの揺籃期に、こうしたアイデアと情熱をもった人がいたということは、ラッキーなことだったと思う。

このころアメリカで、ジョニー・カースンが司会する『トゥナイト・ショウ』という深夜のトーク・ショウの人気がうなぎ登りだという。他局にさきがけてこの時間帯を開拓するために、諸兄のアイデアをお借りしたいというので、われわれはいろいろな提案をした。井原さんはメモをとりながら話に加わっていた。そして、われわれはお車代をもらって帰ったように憶えている。

秋になって今度は、横チン(横田岳夫)から電話があった。例の深夜番組が具体化して十一月から始まるのだが、彼は月曜日担当になったので第一回を見て批評してほしいと言う。彼とは番組の構成やゴルフ、ポーカーなどを通じて八年のつき合いがあり、すでに親友といって良い仲であった。

その番組は『11PM』というタイトルで、十一月八日の月曜日が第一回であった。月、水、金が日本テレビ制作で、火、木は大阪の読売テレビがつくる。初めは報道局制作のニュース・ショウに近い構成で、司会は週刊読売編集長の山崎英祐さんという方であった。ボクは約束どおり飲みにも行かず生放送を見た。