週刊現代 ライフ
生きる伝説!羽生善治が語る「AIと将棋、そして私の年齢」
【特別インタビュー】彼に起きたある「異変」
〔PHOTO〕gettyimages

取材・文/高川武将

年齢はハンデにならない

この春、長く将棋界の王者に君臨してきた羽生善治に、ちょっとした「異変」が起きていた。

3連覇のかかった名人戦第2局の終盤、相手玉の詰みを逃して逆転負けすると、そこから4連敗。28歳の佐藤天彦に名人位を奪われた。他の棋戦でも20代の棋士に負け、自身初の公式戦6連敗を記録してしまう。

25歳で空前絶後の七冠を制覇してから20年。通算勝率は7割1分を超え、45歳の今も三冠王である。40代に入ってから、記憶力や瞬発力の衰えを自覚しながらも大局観や直感を磨くことで、若手の実力者たちの挑戦をことごとく退けて来た。その羽生が、若手の突き上げを食らい始めた。

「対戦した人が強いということがまずありますね。ただ長くやっている中で、自分の感覚がどこか古くなっているとか、遅れているところがあるのかな、と考えさせられてはいます。

将棋は記憶力や瞬発力が全てだとは思っていないんです。今まで培ってきた経験や知識をいかに活かしていくか。でも、今の将棋は過去の知識を活かしにくい。若い人の新たな将棋を深く知り、適応できるようにきめ細かい精度を磨く必要がありますね」

その際、年齢はハンデにならないのだろうか。

「直接的なハンデにはならないと思っていますね。それよりも、将棋以外の仕事が増えてくるので、物理的なハンデはあると思います。この5年で衰えは感じないんです。もちろん、記憶力がよくなったというわけじゃないんですけど(笑)」

タイトル戦で全国を駆け回り、取材、講演の依頼は引きも切らない中で、日々刻々と結論が変わる最新形の研究に「いくら時間があっても足りない」という状況にある。

「普段の生活で同じサイクルや同じ思考法にならないようにはしています。新しい場所に身を置く。例えば、羽田空港に行くにもルートを変えるとか。でも、一番大事なのは負けても反省して忘れることですかね」

飄々と話す姿は、「異変」を忘れさせるほど自然体である。

先の人生がよめなくてもとにかく指す

羽生はいつもこう言う。将棋に闘争心は要らない、結果に一喜一憂しない、勝つことに意味はない……。それでも将棋を指し続けて来たのには、羽生の根幹にこんな思いがあるからだ。

「新しい発見を探している。将棋は一生懸命やれば必ず面白いドラマが生まれる。どうせやるなら面白いドラマを観たい」

最強のコンピュータ将棋と対戦するプロ棋士を決める第2期叡王戦に初参戦を表明したのは、5月末のことだ。段位別予選を突破した羽生は本選を勝ち抜けば、来春の電王戦でコンピュータの王者と闘う。叡王戦はエントリー制で昨年は不参加だった羽生が、ついにコンピュータとの決戦に挑む決意をしたのだ。

だが、その闘いは、一見不毛にも見える。

'13年から始まった棋士とコンピュータ5対5の電王戦では人間側が負け越し、初代叡王の山崎隆之八段もこの春の二番勝負で完敗している。そこにはAI(人工知能)の急速な進化がある。

将棋よりも難しいとされていた囲碁では、3月に世界最強の韓国人王者が完敗した。将棋ソフトはみずから「機械学習」するため、なぜこの手を指せたのか、開発者もわからない。途轍もないスピードで進化し続けるコンピュータに、羽生でさえ負ける可能性は高いのだ。

2年前、コンピュータ将棋について様々な話を聞いたとき、彼はこう言っていた。

「本気で勝つつもりなら、1年間公式戦を欠場するくらいの準備が必要です。コンピュータの思考プロセスを学ぶために」

今、あらためて尋ねてみる。

「他の公式戦もやりながら短期間で準備しないといけないので、かなり大変なことだとは思います。そして、その準備は人間同士の対局には活かされません。将棋ではなくプログラムの勉強をすることになるので……」

羽生は本気だった。多くの犠牲を払ってまで臨む理由とは何だろう。

「負けた時の周囲の反応は、当然大きいだろうなとも思っています。ただこれ、将棋の手を決めるのと同じようなところがあるんですよ。この先どういう局面になるかわからないけど、とりあえず、先に手を選ばなきゃいけないという。正しいのか、メリットがあるのか、やってみないとわからない」

欲の強さが大事。そういう思いが強くなってきた

若手に負けが込むようになった今、30年の棋士人生で一つの分岐点を迎えている。そこには年齢を重ねて来るにつれ、強くなったこんな思いがある。

「欲は大事ですよね。勝ちたい気持ちはもちろんあります。ただ、強く思わないほうがいい結果に結びつくことを経験則で知っている。それも、欲と言えば欲なんですね……」

すると、意外な話を始めた。

「去年、『(松岡)修造カレンダー』がすごく売れたじゃないですか。何でだろうって考えてみたんです。やっぱり、自分も含めて日本人は、強い自我とか気持ちを前面に出すことが弱いんですよ。自分で欲を抑えてしまって、持ってる力を発揮しきれない。

日本人のメンタルの欠けてる部分をあのカレンダーは補っている。結局、最後の最後、何で決まるのかと言ったら、自我の強さとか、欲の強さみたいなものが大事なんじゃないかなと。そういう思いは、若い頃より強くなってきました」

真剣に話すと一転、こう言って楽しそうに笑い転げた。

「ただ、今からどんなに頑張っても、松岡さんみたいにはなれないですけどね。もう、今さら」

強い者と闘うことに意味は要らない。欲のないコンピュータに、欲の強くなった羽生が挑む。羽生がコンピュータを打ち負かすところを見てみたい。

「週刊現代」2016年7月23日・30日合併号より