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山口敬之氏「だから私はTBSを退社し、この一冊を著した」~永田町を震撼させたエース記者の回想

TBSを去った理由

TBSを辞めたのは、「取材したことを報道する」という、ジャーナリストとして当たり前のことができなくなったからです。

私は政治部を経て、2013年にワシントン支局長としてアメリカに赴任しました。このとき、現地の公文書館で、ベトナム戦争中に韓国軍が慰安所を設けていたことを示す文書を発見しました。貴重な文書ですから、すぐにニュース番組のなかで放送したいと掛け合ったのですが、上層部は「デリケートな問題だから、文書だけではダメだ。その現場にいた人の証言が得られなければ、放送しない」と消極的でした。

そこでさらに取材を進めた結果、当時、現場にいたというアメリカ人を発見、カメラの前でそのときの証言もしてくれたんです。「これならいける」と映像編集作業も終えたのですが、またしても会社の答えは「放送できない」でした。

いったいなぜダメなのか、理由を質しても「君のためにならない」「大統領選も控えている」などと、要領を得ない答えが返ってくるばかりでした。

これほど重大な事実を伝えないのであれば、もはや自分はジャーナリストではなくなってしまう――葛藤の末、山口氏はその取材を『週刊文春』誌に寄稿。『米機密公文書が暴く朴槿恵の゛急所゛ 韓国軍にベトナム人慰安婦がいた!』というタイトルで、2015年4月2日号に掲載されたこの記事は国内外で大きな反響を呼んだ。ところが、TBS上層部は、山口氏が他社の媒体で取材成果を発表したことを問題視したという。

会社からは、ワシントン支局長を解任、営業局へ異動という処分を受けました。異動には納得できない気持ちもありましたが、当初は別の部署からテレビ局という組織を見てみるのもいい経験になるかもしれないと考え、配属先での仕事に取り組んでいました。

しかし、私の本性は記者ですから、取材して発信するという仕事ができないことには耐えられなかった。何より、取材した成果を明確な理由もなく報道させない組織に所属していても仕方がないと考えたのです。そして、退職を決意しました。

ちょうどその頃、本を書かないかというお話をいただいたので、退職を機に、これまでTBS記者として取材をしてきたこと、またテレビという枠組みでは報道できなかったことを書こうと思ったんです。