日本
日本人が決して忘れてはならない「大空襲と遺骨」の話
~東京の地中には、いまも戦争被害者が眠っている
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間もなく71回目の終戦記念日を迎えるが、日本人が決して忘れてはいけないことがある。いまも、東京の地中深くに眠っている戦争の犠牲者がいる、ということだ。『戦後補償裁判』『遺骨』の著者、毎日新聞・栗原俊雄記者の特別レポート。

犠牲者10万人の遺骨はどこへ行ったのか

やって来ました常夏記者。マスコミ各社が毎年8月、集中的に戦争関連の報道する「8月ジャーナリズム」を、1年中やっています。ついたあだ名が「常夏記者」。本当に重要なことは、いつでも何度でもどこででも繰り返し報道することが必要ですから。江戸っ子だってねえ。板橋の生まれよ。

ということで、今回は「東京大空襲」のお話です。「東京大空襲って、3月10日だろ? 季節外れだろ」と思ったあなた、その通りです。「しかも71年も前だろ?」とたたみかけるあなた、それもその通りです。「B29の爆撃で、10万人死んだんだろ? 常識だろ」と指摘されたあなた、ますますその通りです。

そうそう。歴史の教科書に書いてあります。みなさんご存じの通り。では一つお聞きしたいのですが、10万人の遺体、遺骨がどこにいったのか、どう扱われたのかご存じですか? 今回はその始末を口上いたします。

第二次世界大戦末期の1945年3月10日未明、米軍の戦略爆撃機「B29」およそ300機が大日本帝国の首都・東京を襲った。爆撃自体は2時間程度で終わった。しかし折からの強風にあおられた炎が、隅田川沿岸をなめ尽くした。死者は推計で10万人に及ぶ。

当時、東京都の施設で焼くことができる遺体は500体でしかなかった。かといって、多数の遺体を放置したままでは、衛生上大きな問題がある。さらに士気が下がり、戦争を継続することができなくなる。どうしたのか。軍部は急いで、都内のあちこち、公園や学校、寺、空き地などに遺体を埋めることにした。「仮埋葬」という。

財団法人東京都慰霊協会が1982年に発行した冊子『戦災殃(おう)死者改葬事業始末記』(以下、『始末記』)には、以下の通り71カ所の仮埋葬地が記されている(区名は当時。カッコ内は埋葬された遺体数)。

【江戸川区】行船公園(434)▽瑞江葬儀場構内(165)▽逆井公園(61)▽燈明寺(14)▽法蓮寺(25)▽
【向島区】原公園(364)▽吾嬬西公園(250)▽法泉寺(136)
【本所区】隅田公園(東岸)(3682)▽錦糸公園(1万2895)▽菊川公園と菊川国民学校校庭(4515)▽中和公園(3850)▽江東公園(50)▽緑町公園(320)
【城東区】進開橋(475)▽警防訓練所(2062)▽妙久寺(2516)▽光明寺(938)▽普門院(1334)▽宝蓮寺(903)▽赤門寺(915)▽自性院(1262)▽同隣地(地名のみ記載。遺体数の記載なし)▽羅漢寺(1036)▽勝智院(65)▽鍛錬道場(2418)▽宝塔寺(62)
【深川区】猿江公園(1万2749)▽平井三丁目空地(420)▽東陽公園(670)▽洲崎病院前空地(590)▽東陽町三丁目空地(3686)▽深川病院構内(566)▽不動尊前空地(50)▽森下公園(150)▽霊厳寺(100)▽八名川公園(150)▽平久国民学校(69)……

(一覧の続きは、最終ページに記載)