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小説ってこんなふうに書くのか! 片岡義男と江國香織が惜しげもなく明かす「最高の小説のつくりかた」
特別座談会【前編】
〔photo〕iStock

作家・片岡義男と江國香織ーー長きにわたり第一線で創作を続けているお二人は、どんなふうに小説を書いているのだろう? 批評家・佐々木敦氏を聞き手に、小道具の選び方から時間の流し方まで「創作のヒミツ」を縦横に語ってもらった。小説の読み方が変わります!

小説をどこから始めるか

佐々木:片岡さんと江國さんは、今日が初対面ということですね。まず、片岡さんの新しい短編集『と、彼女は言った』のことからお話に入って行きたいと思います。江國さんは本書を読んで、どんなことを感じられましたか。

江國:この本に限らず、片岡さんの小説ではいつも、ひとつずつの言葉の際立ち方に驚きます。特にここ最近の短編集は1編ずつが短いですね。ストーリーも極めてシンプルだし、費やしている言葉の数がとても切り詰められていて、でもこれ以外にありえないという、言葉ひとつひとつの扱いの、清潔な手際にびっくりしながら読みました。

片岡: まず書くにあたって、整理しなければいけないんです。何を、どの順番でどういう風に書いていくか。

その整理がやや行き過ぎると、言葉が、良くいえば簡潔になる。だけど僕の場合、整理されすぎているきらいがなくもない。僕は普通あまり反省しないんですが、江國さんの小説を読むと、反省せざるを得ません。

佐々木:整理するというのは、ある種の正確さへの志向だと思うんですが。

片岡:そうなんです。

佐々木:片岡さんの小説では、駅からある所まで歩く場面が非常に丁寧に正確に描写される。それから誰かと会って何かが始まっていく。ある行為を正確に書くこと、整理して物語を書くというところで、片岡さんと江國さんの書き方には、似ているところと違うところがあると思います。

片岡:僕の場合は、駅で電車を降りるというとき、電車が止まらないと降りられない。電車が駅に入ってきて、止まって、ドアが開いて、それから降りるわけです、やっと。

で、階段に向かって歩いていって、階段を降りて、改札のあるフロアーに降りて、改札まで歩いて、改札を抜けて。ただ抜けるわけじゃなくて、Suicaか何かで抜ける。改札を抜けて、右に行くか左に行くか。そういう手順を書かないと、次が始まらない。どこから始めてもいいんだけど、「どこから書くか」という決定をしなければいけないんです。

佐々木:江國さんの場合はどうですか?

江國:私もやはり、省くわけにはいかないところがあります。例えば、登場人物が「冷蔵庫を開けて、牛乳を出した」と書いたら、「閉めた」も入れないと嫌なんです。そのあとも「廊下に出た」、「隣の部屋に行った」というのをいちいち書く。急に隣の部屋で誰かと会話を始められない。細かいことを省けないときがありますね。

片岡:僕も、「水を飲んだ」と書けないんです。作中人物はどうやって、どの水を飲んだか。部屋にいるなら、水道の水か買ってある水か。水道の水はどうやって飲むのか。買ってある水だったらその水がどこに置いてあって、フタを外して直に飲むのか、あるいは紙カップに注いで飲むのか。

佐々木:整理すべきところと、したくない部分があるんですね。