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「昭和の妖怪」岸信介の知られざる素顔〜安倍首相の祖父が目指していた国家とは?
日米安全保障条約に署名する岸信介とそれを見つめるアイゼンハワー米大統領〔PHOTO〕gettyimages

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A級戦犯で拘束後、4年で首相に

「昭和の妖怪」岸信介と、「魔王」北一輝をめぐる旅の途中である。今回、立ち寄ったのは渋谷区の南平台。かつて岸首相の私邸があった場所である。

その私邸はとり壊され、今は青瓦と白壁の大型マンションが建つ。周辺には教会や大使館や豪邸が軒を連ねる。喧騒とは無縁の高級住宅街だが、60年安保の当時は連日のようにデモ隊が押しよせ、岸邸前の道は洗濯板みたいに凸凹になったそうだ。

警官隊の厳重なガードにもかかわらず、岸邸にはねじって火をつけた新聞紙や石が投げ込まれた。岸首相は外に出られず、退屈すると孫たちを呼びよせた。当時6歳の安倍晋三・現首相も新聞社の車にそっと乗せてもらい、祖父宅に行った。

以下は『美しい国へ』(安倍晋三著・文春新書)の回想である。

〈子どもだったわたしたちには、遠くからのデモ隊の声が、どこか祭りの囃子のように聞こえたものだ。祖父や父を前に、ふざけて「アンポ、ハンタイ、アンポ、ハンタイ」と足踏みすると、父や母は「アンポ、サンセイ、といいなさい」と、冗談まじりにたしなめた。祖父は、それをニコニコしながら、愉快そうに見ているだけだった〉

往時の岸家を彷彿とさせるような文章だ。それにしても、と私は思う。

岸ほど不思議な政治家はいない。彼は東条内閣の商工相として開戦の詔書に署名し、戦時の経済を仕切った男である。

戦後、A級戦犯容疑で巣鴨プリズンに3年拘束された。不起訴になったとはいえ、彼の戦争責任は重い。

ところが連合国軍の占領が終わった翌年の1953(昭和28)年には代議士に当選し、それからたった4年で首相になった。国民をあんな悲惨な目に遭わせておいて、どの面さげてと言いたくなる。

しかし、である。岸が首相在任中にやったのは安保改定だけではない。最低賃金法と国民年金法を成立させた。とくに年金法は、公務員や大企業の社員しか恩恵にあずかれなかった公的年金の受給対象を全国民に広げる画期的なものだった。

岸信介回顧録-保守合同と安保改定-』(廣済堂出版刊)で彼はこう振り返っている。

〈岸内閣の時代に社会保障や福祉の基礎がつくられたということが、私のイメージに合わないというか、私になじまないような印象を受けるらしいが、そういう評価の方がなじまないと言うべきで、私にとっては意外でもなんでもない(略)あたり前のことをしただけなのだから〉

タカ派の親玉としか見られなかった岸が目指したのは弱者に優しい社会民主主義だった。富の再分配による格差の是正である。としたら、岸はいつ、どのようにして社会民主主義を志向するようになったのか。

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